闘う社長の再起編

大きな夢を持って、日々、いろいろな事と格闘しています。
このブログは、そんな私の毎日の成長記録です。

こころの目

2008年11月08日 12時26分38秒 | Weblog
今日は秋の長雨、しっぽりといい感じです。
雨は新緑の葉を映えさせますが、赤や黄の葉も映えさせますね~
私にもうちょっと教養があれば、一句ひねりたいところです

京都の紅葉の名所の一つである永観堂(左京区)の夜間ライトアップも始まり
来週あたりから他の紅葉スポットのライトアップも次々と始まりますから
京都の紅葉ももう少しで本番です。

桃色、緑色、青色、赤色、黄色、白色など、様々な色のうつろいがあり
四季を楽しめる日本という国土は、本当に素晴らしい自然環境だと思います。
私は、日ごろ、無機質な機械相手の仕事ですから、
余計に自然の素晴らしさが、愛しくなるのかもしれませんけど。

テレビやコンピュータの映像を通して、世界中の美しい風景や自然を
見ることは、それはそれで大変意味深い事だと思いますが、
私は、風景や自然が、デジタルに換わった瞬間、とても大切な何か、
そして、とても大きな何かを失ったよう気がします。
その残りかすと言ったら語弊があるかも知れませんが
本当に表面的な目に見える情報だけしか見ていないような気がします。

京料理は、ご存知のように、料理の味だけを楽しむものではなく
料理の盛り付け、料理の乗っている器、料理を頂く部屋の雰囲気、
その部屋から見える風景、音、風など、すべてを楽しみながら頂きます。
即ち、五感の全てを使い、こころの目で楽しむわけです。

多分、「自然を楽しむ」というのは、京料理を楽しむのと同じように
五感の全て使って楽しむのが本来の姿だと思いますね。
デジタルの向こうの映像では、視覚以外で感じる事ができないから
とっても大切なものを失っているように思えるのだと思います。

私が子供頃、もう40年ほど以前と現在とでは、
視覚から得る情報量というのは、数倍という単位で増加しています、
しかし、逆に視覚以外から得る情報量というのは、
そんなに増えているように思えません。
それどころか、視覚以外は、繊細な情報処理ができなくなって
きているかのような気すらします。

わずかなニオイの差が分からなくなっているとか、
わずかな味の違いが分からなくなっているとか・・・
例えば、味覚障害などとまでいかなくても、昆布だしの繊細な味や
カツオだしの深みのある味が分からず、ただ闇雲に塩辛いものや
だだ甘いものが氾濫しているしているのを見ると
明らかに味覚が退化しているように思えます。

それがまぁ進化の過程であるというのであれば、
それは仕方の無い事でしょうが、鈍感になってしまうのは悲しい気がします。


今日目に付いた記事:
 ・麻生首相、「こち亀」銅像の除幕式に出席
  人気取りもたいがいにして欲しいものだ!

今日の気持ちステータス:

今日の一言:
 こころの目をつぶらない