闘う社長の再起編

大きな夢を持って、日々、いろいろな事と格闘しています。
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歴史が隠れている

2008年11月03日 14時50分28秒 | Weblog
今日は文化の日、文化勲章の叙勲や文化庁主催の芸術祭が行われたり
各地で文化・芸術に関するイベントが行われています。
まぁ私にとっては、祝日という以外、あまり関係ありませんけど...

さて今日は文化の日なので、少しその方向の話題を書きます。

今、京都では、本能寺の変で有名な本能寺跡の調査結果を受けて
従来知られている本能寺の変の説以外に、様々な異説が飛び交っていて
今朝の産経ニュースオンラインでも少し紹介されています。
発掘調査は、本能寺の南側の一部で行われていたのですが
本能寺は従来考えられていたより、敷地面積は小さかった事が判明したとか。

現在の本能寺跡には民家が建っており、なかなか発掘調査というのが
できなかったそうだが、たまたま一角が更地になったので
今回の発掘調査になったそうである。
京都のように歴史のある土地では、発掘調査をするにも一苦労、
地下鉄の工事の時は、平安京の出土物が大量に出てきたので
しばしば工事が中だする場面がありました。

私たちが教科書で習った従来の説では、様々な遺恨を持った明智光秀が
主君織田信長を本能寺で自害に至らしめたというものですが、
そもそも明智光秀が織田信長を襲った理由からして諸説があります。

また、明智光秀が単独で反旗を翻したのではなく、
黒幕に操られたという説があり、その黒幕として公家や足利義昭、
イエズス会、秀吉、家康、宗教勢力などいろいろな名前が挙がっています。
おまけに、明智光秀は本能寺を襲撃していないという説や
ルイスフロイスが書いた本能寺の変の事がリアルなので
イエズス会に関係した勢力が襲撃して、明智光秀に罪をなすりつけた
という説まであります。

織田信長の方も、結局、死体が見つかっていないので、
密かに脱出したのだとか、自害したのは影武者だったとか
こちらも諸説があります。
まぁ日本の戦国史上、最大の謎ともいえる本能寺の変ですから
現在だけでなく、江戸時代から様々な人が諸説をとなえていますね。

戦国時代の寺院というのは、僧兵などがいたり大名の旅籠になったりと
現在の寺院と違って武装したり、強固な堀をめぐらせたりしていたので、
本能寺も単なる信長の宿泊施設だったとは考えにくいのだが
意外とあっさり光秀軍が敷地内に入っているのが不思議です。

しかし驚きなのが、今回本能寺跡の発掘調査が行われたのが
本格的調査としては初めてだという点、
京都の街の下には、まだまだ私たちの知らない歴史が隠れているのでしょう。


今日目に付いた記事:
 ・今後1年間「暮らしに不安感」69% 民間調べ
  これだけ多くの人が不安に感じるのは、政府の責任だ

今日の気持ちステータス:

今日の一言:
 過去も未来も歴史は創られる