癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

西部地区の老舗巡り

2011年09月16日 | レトロ建築・古民家カフェ
 今日参加してきた「第67回 箱館歴史散歩の会」(主宰 中尾仁彦氏)のテーマは、「西部地区の老舗巡り」だった。

 何度もの大火を乗り越えて、100年以上に渡って代々継承され、現在も営業・発展を続けている十字街~宝来町界隈の老舗を巡った。

       
 明治16年創業の銀座通りの角にある「梅津商店」(酒問屋)。 現在地に明治21年に移転。明治40年と昭和9年の大火で焼けて、現在の建物は昭和10年に建て替えられた。
 創業当時の営業は苦しかったが、明治19年に願乗寺川の水が原因でコレラが発生し、900名もの死者を出したときに、「コレラにはビールが効く」という噂が流れ、それで爆発的に売れて、軌道に乗ったそうだ・・・。  
 後に谷地頭にあった碧血碑で有名になった任侠柳川熊吉経営の料亭「柳川亭」を購入、別荘として利用した。

       
 大正4年創業の「レンカ堂本店」(結婚・結納・ご祝儀専門店)と明治末期創業の「赤のれん」(呉服屋)。ともに、昭和9年の大火後、この地で営業。

       
 レンカ堂本店の創業年数と同じ96歳になる現在も店頭に立つ3代目の奥さん・・・昔の賑やかだった当時に話をしてくれた。

        
 明治16年創業の「ヤマサ宮原」(蒲鉾店)。
 
       
 明治22年創業の「国松酒店」。現在は4代目。隣の蔵は、開口部に味噌を塗って昭和9年の大火の延焼を防いだ。この蔵は、現在BARになっている。
 
       
 大正10創業の「三上ふとん店」。現在3代目で、初代は「三上薪炭店」という木炭卸問屋だったが、夏の閑散期に副業としてふとん店を始めたとのこと。
 2階は洋風の和洋折衷様式だが、出窓なので、昭和9年以降の建物だろうとのこと・・・。

       
 明治43年創業の肉屋「阿さ利本店」。現在3代目・・・現在の建物は昭和9年の大火後の総ヒノキ造りの建物だが、それまでに4回の大火に焼けては、その都度建て直している。
  
       
 明治35年創業の「井上米穀店」。現在の建物は昭和10年の建物。2階は洋風の和洋折衷様式。
 
       
 明治16年創業の「佐々木豆腐店」。現在営業している豆腐店では最も古い。現在は5代目。初代は岩手県からやってきた。大火で何度も焼けている。昔は近くに料亭が多く、細工豆腐で有名になった。

       
 明治8年創業の「入村質店(現在は「ひし伊」)。左から大正10年の石作りの蔵、明治38年の土蔵、明治38年の鉄筋コークリート造り・・・3回の大火をくぐり抜けてきた。

       
 万延元年(1860年)創業の「千秋庵総本家」。現在は6代目。札幌の千秋庵製菓や旭川千秋庵、今は六花亭になった昔の帯広千秋庵もここからのれん分けで独立。ほかに小樽千秋庵、釧路千秋庵もあった。 


 この後、大正13年創業の「カール・レイモン」と明治12年創業の「五島軒」へも廻ったが、自分は、午後からの会議の準備で失礼した。

2 コメント

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Unknown (箱館人)
2011-09-16 19:50:20
本日は参加有難うございます。
私の説明不足で申し訳ありません。下記訂正をお願いします。

「碧血碑で有名になった任侠柳川熊吉経営の料亭「柳川亭」の跡地だった現在地に]
を訂正願います。

「後に谷地頭にあった碧血碑で有名になった任侠柳川熊吉経営の料亭「柳川亭」を購入、別荘として利用しました」

店舗地と別荘地は直接関係ありません。
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箱館人さんへ (sakag)
2011-09-16 20:39:55
本日も、ありがとうございました。最後まで参加できず申しわけございませんでした。

説明を良く聞いていないで、勘違いしてしまいました。スミマセン。写真に谷地頭と書いてあったので、変だな?とは思っていたのですが・・・。

このブログの印刷の件ですが、やはり、本文は印刷されませんね。本文だけ選択して印刷してみましたが、上手くいきませんでした。もう少し調べてみます。
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