つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

小茂田青樹作品

2023年02月06日 | 小茂田青樹
エントランスには、お馴染みの鏑木清方と小茂田青樹作品を。









清方の「奴凧」も、そろそろ箱に仕舞う頃となりました。

作品の余白が年末年始の慌ただしい気分を和らげてくれる、そんな作品です。






個人的には速水御舟より、小茂田の作品の方が好きかも知れないと思う時があります。

御舟を理知的と表現するなら、青樹は極めて叙情的。

叙情的ということは、青樹は天才御舟より多く「人間」というものについて考えていたのではないか?と思います。

余白の「粋」については、若い頃関東に住んでいた時の方が、よくそれを味わうことができていたように感じます。

これは地域、その風土に生まれる文化の違いのようにも思われます。

ビルの多い東京の空は狭く、名古屋の空は広い。

その空の下で暮らす人の心に、好みの余白の違いが表れてくるのは当然かもしれません。






小茂田青樹 額 梅花小禽 絹本・彩色 古径箱 東美鑑
20.1×27.5㎝ 880,000
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土田麦僊 軸 嬉雀

2023年02月05日 | 土田麦僊
ショーウィンドウに土田麦僊の「嬉雀」を飾らせていただきました。

こうして見てみると、やはりお軸は作品ばかりでなく、お軸全体を楽しむべきものだということがよくわかります。


そして、描かれた雀の、三羽であることの意味も、それぞれの位置の意味もよく味わうことができ、庭先に来た雀を眺めているかのように鑑賞できます。










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美意識

2023年02月04日 | 日記・エッセイ・コラム
時々孫が店に遊びに来てくれることを、このつれづれにも書かせていただいています。

生後半年を過ぎた頃からちょくちょく顔を見せてくれるので、その成長を間近に感じさせてもらう機会も多く、
また幼い人は店に飾ってあるものをどのように認識していくのだろう?という興味も尽きません。

一才を過ぎて歩けるようになると、作品に触ったり、傷つけたりしないかと嫁娘は随分心配してくれましたが、案外乱暴に触れたりもせず、言葉が通じなくても私から先に「鳥さんがいるねぇ、小さいねぇ、鳥さん、こんにちは❗️」と作品に呼びかけたりすると、「あ、ここに鳥さんがいるんだ」と理解してくれているように感じました。

二才前後からは、おしゃべりもすっかり上手になり、店に着くと、早速それぞれの作品にご挨拶に行ってくれます。

「キリンたん、こんにちは〜」

ふとしたことでお軸に触れてしまったりすると、揺れるお軸に興味を持ち、手を出すこともありますが、「お雛様がね、揺れて少し怖いって言っているみたい。静かに止めてあげようね」というとそっと手を離したりしてくれます。

機嫌が良く、動作も落ち着いているなと思える日には、陶器の作品に一緒に触れてみたりもします。


息子が2歳くらいの時、公園によく連れていきました。

男の子は、2歳を過ぎた頃から個性が際立って、息子のお友達の中には、公園の中をきれいな若いお姉さんが通り過ぎようとされるとどういうわけかその後ろを追いかけて公園を出ていってしまう子がいました。

この頃では孫も、綺麗な若いお姉さんを前にすると、うっとりと明らかにいつもと違う笑顔を見せて愛想良く挨拶すると聞いています。





今週は、納品の準備のため、お預かりしていたラリックの婦人像をギャラリーに出していました。

私は他のことをしていたので見ていませんでしたが、昨日店に来た孫は早速この婦人像を見つけ
「あぁ〜」と言ってケースに抱きついたそうです。


すかさず佐橋がライトをつけてあげると





「あーーーーぁ」と

その美しさに孫は驚いて、両手を広げてケースに抱きつき、アクリル板にチューをしたというのです。

(お納め先のお客様、ごめんなさい。アクリルはもう一度綺麗に拭き直しました)



よく佐橋が「美術品を見る男性の目は、女性を見る時と同じ目だ」と言っていますが、なるほど孫の行動にもその兆候がよく表れています😅


もう孫には自分にとって美しいもの、綺麗なものが本能的にわかっているのだと思いました。







この初めて見るブリザードのバラにも「あか❗️」と近づき、何度も何度も見にいきました。

帰りがけにはとうとうこの花びらにもチューをしていたほどです。



見たものを全て口に持っていき、その手と口の感触から外界の存在を識別し始める時期

感触から得た情報を、指差しで「あ、あれ!と確認、それを周りに伝えようとする時期

「あ!りんご!」という言葉の獲得とりんごは丸い、赤いという存在の識別化を進める時期

そしてそれとほぼ同時期に、「きれいなもの!」を感じる力を養っているのだということが今回よくわかりました。



果たしてこの孫が、山口薫や長谷川利行、今西中通などの作品に「この絵すごく良いねぇ」と興味を持つようになるのか?
それはいつ頃なのか?

何よりその時私は生きて、店をやっていられるのか?

それさえもわかりませんが、間も無くお兄ちゃんになるこの孫と当店の作品達との出会いをこれからも楽しみに見守りたいと思っています。












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今西中通 裸婦裸婦

2023年02月03日 | 今西中通
今西中通の作品は今までにも何点か扱わせていただいています。

1908(明治41)〜1947(昭和22)年の夭折の画家であり、その作品も中通が所属した独立美術研究所時代の先輩林武が、のちに美術雑誌に幻の画家として彼を紹介したことをきっかけに広く知られるようになりました。

結核という病気を抱え、また貧困に苦しみ、放浪の末に亡くなったといわれる中通の作品は、とても悲しく、優しく、独特の感性に満ちています









今回ご縁をいただいたのは水彩の裸婦像です。

裏に藤井久仁子さん(妻)のシールがあり、1941年制作とありますので、中通33歳の作品である事がわかります。

多くの額絵に囲まれたベッドに横たわるモデルの女性の肉体はふくよかでありますが、お顔はどこか幼い感じがして、画家のこの女性に寄せる思いは 決して情熱的なものではなく、細やかで切ないものであるように思えてきます。

そしてその切なさは、長谷川利行の作品に感じるものとは違う、束の間に揺れるマッチの火の温かさほどのようなもの。

しばらく眺め、またその時々の感想をお伝えしようと思います。




今西中通 水彩 「裸婦」 1941年  
26.5×37.5㎝ 藤井久仁子鑑 








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堂本印象について

2023年02月01日 | 堂本印象
昨日も寒く、お天気も今ひとつで周りが暗く感じられたからでしょうか?



印象の晴雪がとても明るく、美しく感じられました。





「椿に想う」という記事を思いがけず多くの方にお読みいただきました。

丁度お休みをいただいていたので、珍しく佐橋がコメントを残してくれました。

人物画だけでなく、花鳥や風景画にも、良い作品には古径や華岳の作品のように「間」「気の塊」が感じられるというような内容でした。

私たちはお休みにも絵のことばかり話しています。

時々、そんな時に親しくしてくださる画商さんからご連絡をいただくと、2人で当たりを見回し「どこかで聞かれている??」と驚くこともあるほどです。


私の質問に対する佐橋の答えは

古径は駄作が極端に少ない画家だ

華岳は早く他界してしまったので作品数も多くない

その中には出来の良いもの、そうでも無いものもあるだろうけれど、紙の隅に簡単に描かれた作品或いは書でも「華岳の香り」が十分に感じられるものもあるので、普通の画家に比べたら「気や情」を感じられない作品は極端に少ないだろう


そして、印象については


堂本印象の多彩性は「日本のピカソ」とも言うべきもので、京都の琳派を始めとする各派を網羅し、仏画、花鳥画、西洋の印象派的風景画、新古典主義による人物画や群像、抽象画などそのすべてにおいて類稀なる制作を全うした

現代の我々はその多彩さに惑わされ、彼を正しく評価出来ていない

見直されるべき最右翼の作家と言える



昨年末、2人で京都に出かけたのはホテルの窓から魁夷の「年暮る」の風景を探す為だけではなく、主には京都府立堂本印象美術館さんに伺う為でした。










企画展目当てというより、この美術館自体に伺いたいと思いました。


全ての設えに堂本印象が関わり、まさに「人、堂本印象」を感じられる美術館さんです。











決して大きな美術館さんではありませんが、ゆっくりとした時間の流れ、そして印象という画家の愛全部に包まれて、清々しい気持ちになりました。

私達は今あちらこちらに動くことができず、せっかく京都に行っても一般的な旅らしさを味わうことはありませんが、それでもとても心地よい満足が得られました。





「この館は、神仏や善意に充ちた多くの人びとからの贈り物である」


この印象の言葉が全てであろうと思えました。












どこまで追いかけられるかはわかりませんが、佐橋美術店にももう少し、印象の愛を充してみたいと思っています。

古径や華岳の愛が「陽」
内に向くエネルギーに満ちるなら

印象の愛は「陰」
外へ外へ、拡散のエネルギーに満ちる作品であると、今の私は感じています。










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