goo blog サービス終了のお知らせ 
ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




国道1号線角。神奈川県小田原市本町1-10。1991(平成3)年8月22日

国道1号線(東海道)は小田原の市街でクランク状に曲がっている。その国道が箱根方面に曲がる角、本町交差点である。撮影時では商店街らしくアーケードになっている。角の店は写真から「喫茶&軽食/花○」、その右は以前は居酒屋かバーだったような構えだ。現在はこの角の家と奥の2階建て日本家屋はなくなって、その空き地に民家が1軒建っている。写真右端のビルは変わっていない。



神保ラジオ店。小田原市本町1-9。2010(平成22)年7月9日

1枚目の写真を右手(北)にいったところで、箱根登山バスの幸町(さいわいちょう)停留所の前。神保ラジオ店の正面には2階窓の上のアーチの飾りや帯状の装飾が残っている。
幸町というのは旧町名で、現在の栄町1丁目、本町3丁目辺りになるようだ。東海道の沿線だから江戸期には宿場町の中心だったのかもしれない。
この稿を書いていて、1956(昭和31)年6月で廃止されるまで、箱根登山鉄道の支線ともいうべき小田原市内線という路面電車があったことを知って驚いた。小田原駅東口から国道1号線にでて、そのまま1号線を箱根板橋駅までを運行していた。その停留所に「幸町」があり、町名が変わっても停留所名を変えずにきているらしい。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )



« 佐藤法律事務... 相澤眼鏡店/... »
 
コメント(10/1 コメント投稿終了予定)
 
 
 
神保ラジオ店の孫です (神保博光)
2025-06-20 10:30:56
以前にも見た覚えがありましたが、愚息の友達にこの手の古き良き時代検索マニアがいて、話題なりなつかしさのあまり、コメントします。
〔神保ラジオ店〕は、関東大震災直後の大正13年に建てられました。表側は砂壁という技法で、近隣の商店街は、当時は殆ど似たような木造建築の表側だけが石造りに見える技法のようです。 昭和35年頃一時三洋電機(SANYO)の看板が取付けられていましたが、この写真は、カンバンが無いので1970年以降に撮影されたものと推定します。 2012年に解体しています。 
 
 
 
>神保様 (流一)
2025-06-21 10:18:10
コメントの投稿をありがとうございます。当ブログの写真は2010年の撮影ですが、2012年に解体ですか! 関東大震災直後には多くの商店が建て直されたのだと思いますが、神保ラジオ店のような形の店舗もかなりあったのでしょうね。撮影時では洋風の正面をした家はよく探さないと見つからないほどになっていたと思います。
 
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。