ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




民家。足立区千住寿町22。2012(平成24)年7月24日

千住寿幼稚園の南の住宅地である。大正通りから路地のような狭い横丁を東へ入った奥に戦前からある古い住宅が3棟並んでいる。この辺りは敷地いっぱいに建った住宅がぎっしりと立ち並んでいるのだが、写真の住宅は近隣のものと比べると広さが倍くらいもある。写真では3戸が写っているが、今は写真右の家が建て替わったようだ。


2012(平成24)年7月24日

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芹沢看板店。台東区東上野5-19。1991(平成3)年6月30日

写真の看板建築は 東部塗料商会だった看板建築の家の横の路地を入った奥にある。写真左の看板建築にした三軒長屋は現存している。その角の家の看板は「看板/吉澤」と読めるので「芹沢看板店」とした。手前の空き地には今、「ジェイパーク上野アクシス」(2000年9月築、12階建74戸)というマンションが建った。下左の写真は手前の建物を壊して間もない頃だろうか。マンションが建つまでかなりの年数がかかったようだ。上の写真では工事が始まる気配がないからだろう、空地に無断駐車しているようである。
この長屋の所在地は住宅地図から突き止めていたが、この稿を書き始めてそれがマンションの裏に残っている建物だとやっと気が付いた。写真右の青いトタン壁の家は、やはり現在も残っている民家のようだ。


左:1989(平成1)年2月12日、右:2013(平成25)年8月3日

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トミヤ。台東区東上野5-19。2006(平成18)年11月29日

清洲橋通りから台東区立上野小学校とは反対の、西へ入った裏通りとの角にあった出桁造りの商家。たばこ売場があるが、1986年の地図では「トミヤ」で、化粧品などの小間物屋だったようだ。現在は3階建ての住宅に建て替わっている。『 上野 浅草 稲荷町>トミヤ なくなる!』によると、2009年8月に取り壊されている。
トミヤの裏にはきれいに改装された看板建築の三軒長屋があるが、これは健在だ。


洋風二軒店舗。東上野5-19
2008(平成20)年3月2日

1枚目写真のところから左へすぐのところ。前面を看板建築にしたアパート風の建物。1986年の地図では左が「東部塗料商会」、右はしもた屋らしい。1989年に撮った写真では、左が白の塗装、右が無塗装だ。

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羽鳥工業。台東区東上野5-9。1991(平成3)年6月30日

清洲橋通りの古い商店が並ぶ景観で、この家並みは不思議と今も残っている。まとめてビルを建てるために住人の退去を気長に待っているのかと思う。家並みの裏側は駐車場だ。1986年の住宅地図では、左から、どーばん、羽鳥工業、規格工業、しもた屋? タイニイ、しもた屋? 下谷製本会館。



小林商店、四軒長屋。東上野5-9。1989(平成1)年7月23日

1枚目写真の左に両側に歩道のある横丁があり、そこに入ってすぐのところ。写真右の一戸建て住宅のような家が、1986年の住宅地図で「小林商店」となっている。現在は取り壊されて、裏の駐車場や1枚目写真の商店の裏側が覗ける。看板建築にした四軒長屋は残っている。今は2戸が空き家らしく鉄板の塀で閉じられている。



三興商会、三軒長屋。東上野5-8。1989(平成1)年7月23日

2枚目写真の横丁を左へ行ったところ。現在では三興商会のモルタル壁の建物と看板建築にした三軒長屋は取り壊されて駐車場になっている。
2枚目写真と3枚目写真の間の向かい側に下谷税務署があった。現在、この税務署は廃止されて東京上野税務署(池之端1-2)に移行された。Googleマップのストリートビューでは、その跡地は更地になっている。航空写真では税務署だったビルが見られるから、わりと最近取り壊されたのだろう。この土地は今後どうなるのだろう。

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寿湯。台東区東上野5-4
1989(平成1)年7月23日

最近、取り壊された同潤会の上野下アパートの裏の通りにある銭湯。建物はそのままで存在しているが、屋根が改装されて赤っぽい鉄板のようなものになって瓦葺きではなくなったので、屋根が軽くなった分、外観を見た感じも軽くなったような気がする。煙突が今は見当たらない。2005・6年頃の改装らしいのだが、表面中央の唐破風の下の出入り口が、今はその左側に移動し、元の出入り口は窓があるモルタル塀に替わった。
ぼくは戦前の建物とばかり思っていたが、寿湯の創業は昭和27年という。建物も当然そのときものだ。今ではサウナや露天風呂まである人気の銭湯らしい。

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浅草通り稲荷町交差点。台東区東上野5-1。1988(昭和63)年5月1日

浅草通りと清洲橋通りが交わる稲荷町交差点から上野方向の眺め。今もあまり変わったようには感じないが、やはりそうもいかない。写真中央右寄りの茶色のビル(奥田商店)は7階建てのビルに建て替えられた。奥田商店は電機店だったらしいが今はタバコが主になっているようで建て替わったビルで健在。地下鉄のりばの営団地下鉄のマークがそろそろ懐かしい感じになってきている。写真左寄りの3階建てのビルはプラチナ万年筆で現存。その左は2軒の商店だが、牛丼のすき家などが入った3階建てのビル(稲荷町ビル)になっている。写真左端は第一勧銀(現・みずほ銀行)稲荷町支店で、日本勧業銀行上野支店だった建物。現在は「日新上野ビル」で、1階はみずほ銀行稲荷町支店。




左:第一勧銀稲荷町支店。東上野5-1。1989(平成1)年7月23日
右上:プラチナ万年筆。東上野5-1。1988(昭和63)年5月1日
右下:プラチナ万年筆稲荷町サービスステーション(『プラチナ万年筆』のHPより)

プラチナ万年筆の建物がいつ頃の建築なのか推察してみた。 プラチナ万年筆のHP の沿革にある、「昭和17年―「プラチナ萬年筆株式会社」を設立」の店先での集合写真は浅草通りの建物としてもよさそうなのだ。その写真に続く工場の写真も同じ建物だとすると、建物は木造らしい。その建物は「大正13年―万年筆の製造販売をする「中屋製作所」を創立」のときに建てたものか、とも想像できる。
同サイトの『プラチナ万年筆の歩み』の1966年のところにあったのが右下の写真。昭和40年代にはこのような外観だったのだろう。これなら関東大震災の後に建てられた2階建ての建物に3階を増築したもの、としてよさそうだ。玄関の左右にショーウインドーを置いた配置が沿革にある写真と一致するように見える。

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左:民家。品川区北品川1-29。2004(平成16)年1月11日
右:美容室バランス。北品川1-30。2000(平成12)年3月1日

旧東海道の商店街から東へ入ってすぐ八ツ山通りへ出る割と広い横丁。「台場横町」と名前がついている。江戸防衛のため築かれた御殿山下台場(現・東品川1-6)へ下りていく道であることから呼ばれるようになった。上の写真はその横丁のゆるい坂道にある民家とその向かいの商店。
右写真では看板建築が並んでいるが、昭和22年の航空写真では、はっきりはしないがまだ家が建っていないようにも見える。建物も戦前からの看板建築のようには見えないので、戦後になって建てられたものだろう。この家並みの一列は建物疎開になったのかもしれない。



左:つるや婦人服店、喜楽寿司、右:平屋の二軒長屋。北品川1-30
2000(平成12)年3月1日

左写真は旧東海道の商店街(北品川本通り商店街)で、つるやは今は建物はそのままで店が美容室に変わっている。喜楽寿しは区立品海公園沿いの路地との角にある。右写真がその品海公園から八ツ山通りへ出る路地を撮ったもの。平屋の二軒長屋は、現在では二階建てのものに建て替えられている。
その長屋の手前の石垣は、公園に立札で説明書きのある「海岸石垣の名残り」。「江戸時代の東海道は品川に入って海岸の方へ行く横町は下り坂になっていて、昔の海岸線には護岸のための石垣が築かれていました。江戸時代にはときどき波浪によってこの石垣が壊され、宿場にとって修復にとって大変な負担となりました。」。この説明文はネットにあった写真から採ったもので、署名があるが読み取れなかった。

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星野金物店。品川区北品川1-28。2004(平成16)年1月11日

旧東海道沿いの北品川本通り商店街にある戦前からある店舗はだいぶ減ってしまったようだが、星野金物店の洋風看板建築が健在である。二階の壁面はスクラッチタイル貼りのようで、看板建築の材料としては珍しい。その上下に銅板貼りのパラペットと軒飾り。二階の窓はオリジナルのものだろう。菱形にした桟が見える。
写真左のビルは「星野ビル」。また、八百倉の右のビルは以前「星野電機」があったところだ。なにか関連性がありそうだ。



パチンコニュートップ。北品川1-28。2000(平成12)年3月1日

星野金物店から少し南へ行った横丁との角にあったパチンコ店。横丁の向かいも白龍というパチンコ店だ。ニュートップの建物は今も変わらないが、2010年10月に北品川本通り商店会が空き店舗の活用事業として「楽間」という貸しスペースに改装した。下の写真は同じ建物を横丁に入って後ろから見たもの。後ろは「船宿天ぷら三浦屋」で、かなり有名な店だ。
北品川1-28は伊豆の長八の鏝絵で有名な善福寺があるところで、この町域の北が「大横町」、南(三浦屋の前の道路)が「黒門横町」という名前のある横丁である。旧東海道の向かいには「台場横町」もある。


三浦屋。北品川1-28。2004(平成16)年1月11日

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