ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




興風会館。千葉県野田市野田250。2006(平成18)年3月18日

財団法人興風会は、1928(昭和3)年11月、ご大典(昭和天皇の即位式、11月10日)を記念して、千秋社の寄付によって設立された。地域の社会教化事業を推進するため、という。千秋社は1917(大正6)年、野田の醤油醸造家が大同団結して野田醤油株式会社を設立した時に、これを支援する経営者団体として組織された。キッコーマンが野田を中心とした地域の教育を援助するための事業所と考えればいいだろうか。
興風会館は1929(昭和4)年10月の竣工。652席の大講堂を中心としたRC4階建地下1階、設計=大森茂、施工=戸田組。「ロマネスク様式を加味した近世復興式」ということだ。「復興式」というのはルネサンス式ということで、震災復興のことではない。設計者の大森茂には、明治大学や和敬塾本館があるが、当ブログでは『 東洋高校/三崎町1』を収録している。
2001(平成13)年に耐震工事が施された。外壁も塗り直したようだ。

時空散歩>野田散歩;醤油醸造の文化遺産を辿る』では、興風会の設立と興風会館の建設には、野田醤油の労働争議が背景にあるのではないかと指摘している。
1927年4月の争議は9月には無期限ストライキに突入。会社は全工員の解雇や右翼団体を入れての弾圧などで対抗。組合は日本労働総同盟の支援や国会請願と、解決の見通しはなくなった。それが1928年3月20日の天皇直訴事件で労使とも恐懼して急速に歩み寄り、4月20日、協定が成立した(参照:ウィキペディア>野田醤油労働争議)。11月のご大典を控えてあわてたのだろうか。江戸時代から続く醤油醸造家が近代的な会社組織に替わるには脱皮の苦しみが伴う、ということだろう。

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