ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




キッコーマン第一給水所。千葉県野田市野田230。2006(平成18)年3月18日

第一給水所は野田醤油株式会社(現・キッコーマン株式会社)が原料水の統一を目的として建設された。 野田町民へも給水した。1923(大正12)年3月に稼働し、1975(昭和50)年3月まで続いた。
千葉県の近代産業遺跡』によると、1921年4月に地下水をくみ上げるさく井(さくせい。縦穴)工事に着手し、2本目で予定の湧水量を得た。翌年1月には水道敷設工事にかかり、3月には給水を開始、という経過である。
給水塔は普通にみられるものとくらべるとずいぶんと小さい。高さは22mで灯台のような形はユニークではあるが鑑賞してどうこうというものでもなく、なるべく低コストで施工したような感じだ。
ここに給水塔を造ったということは、土地も周囲より高いのだろうか。まわりは割と平坦な台地で、高低差は感じられない。第一給水所の北東の交差点が海抜13m、そこから400m西を通っている流山街道は海抜16m。一方、東に東武野田線を超えるとすぐ海抜15mの等高線が現れる。むしろ周囲より3mほど低い。立地は地下の水脈の関係なのだろう。老巧化ということで2010年2月に取り壊された。



2連の蔵と守衛所と思われる小屋。2006(平成18)年3月18日

給水塔のすぐ下にある変電所のような建物(2枚目写真)は、給水するための施設かと思うがネットでは言及したサイトは見当たらない。給水する量や対象を制御する装置が収まっていたのだろうか。給水塔に水を上げるポンプもあったかもしれない。『日本近代建築総覧』では「建築年=大正12年、構造=RC、施工=日本水道衛生K.K.、備考=聞込みによる」。
ところで「第二給水所」というものがあるのだろうかと思っていたら、『キッコーマン八〇年史』に当たったグズグズ氏が「第二給水所」もあったことをコメントしていただいた。第一給水所とほぼ同じ給水塔とポンプ室と思われる建屋の写真があるそうだ。

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