あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

田中自動車隊の一酸化炭素中毒事件

2019年10月20日 20時26分41秒 | 田中隊

二十九日の朝、
栗原中尉の街頭演説 ( 溜池、虎の門方面 ) のため 護衛をつとめた。
戻ってきてから後、
ガレージ内で待機中の野重七からの参加者、田中中尉以下全員が
一酸化中毒にかかり大騒ぎする一幕があった。
締め切ったガレージの中で木炭を焚いたためで、
田中中尉は精神朦朧となり
「 敵襲!!」
を 連呼しつつ 拳銃を振りまわし、
やっと取りおさえた時 腰から下がひどく汚れどうしょうもなく、
私と初年兵の二人が幸楽に行き 下着を探した。
その時 炊事場では同志と名乗る民間人 ( 町田専蔵 ) が、
大釜に炊きあがった飯を首相官邸に運ぶのだと張切っていた。
その頃、幸楽の相向いの露路という露路には武装した鎮圧軍がひしめいていた。
いよいよ戦闘かと思いながら、
幸楽で準備してくれた下着をもって外に出ると、
戦車隊の大尉がやってきて、すぐ原隊に帰るようすすめた。
私は直属の指揮官が命令しなければ勝手に帰隊はできないと断って首相官邸に戻った。
早速 田中中尉の下着を取りかえてやっていると、幸楽からリヤカーに積んだ飯が届いた。
あの民間人が一切やってくれたのである。
一同 感謝しつつ食事した。・・・リンク→町田専蔵 「 兵の為に兵の食事を運ぶ 」
歩兵第一聯隊機関銃隊 一等兵  村田万寿
雪未だ降りやまず ( 続二・二六事件と郷土兵 )

 田中勝
二十九日午前七時半頃迄、
私及部下十二名は炭酸瓦斯中毒に罹り、人事不省に陥りましたが、
同十時過ぎ 漸く蘇生しました。
田中勝 憲兵調書
昭和十一年三月一日
リンク→田中勝中尉・今日から昭和維新になるぞ 喜べ


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