あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

菅波三郎の革新思想

2017年12月10日 11時59分15秒 | 菅波三郎


菅波三郎

政治には思想、哲學がなければならない。

國體の進化に對する正確な認識が欠けてくると、政治制度や經濟組織が時代の進運にそわなくなり、
その欠陥が失政となって、國民生活を脅かし貧窮する。
社會不安はいろいろな主義思想が入り亂れて、抗爭と混亂が生れてくる。
このような國情に對して、當時の日本陸軍には三大潮流ができて對立していた。
一つは現狀維持派であり、
次が對外擴張派であり、最後が國内革新派である。
現狀維持派とは長老 ( 將官級 ) の一部であり、
國家改造とか、社會革命をタブーとし、
軍人はただ上官の命令に服從し、軍務に精励せよ、と軍人の本分を説き、
そのくせ自分たちは派閥の中に生き、派閥のために憂き身をやつすやからである。
對外擴張派は、軍人の中堅 ( 佐官級 ) の一部で、
陸軍省、參謀本部、関東軍などの出先機關の中樞に属し、
ひそかに謀議を以て武力進出對外發展を企圖し、
軍備の擴張、軍事費の獲得、さらにこれらを容易にする軍政府の樹立をはかる一群であり、
靑年將校はこれを幕僚ファッショと呼んだ。
最後の國内革新派が、國家の内部に潛む矛盾、社會の底邊に喘あえぐ國民の貧窮問題を解決する、
國内政治の出現を最大の急務とした尉官級隊附靑年將校の一群である。


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