あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

竹嶌繼夫中尉の四日間

2020年02月04日 06時20分12秒 | 赤子の微衷 2 蹶起した人達 (訊問調書)


竹嶌繼夫
訊問調書
被告人  元陸軍歩兵中尉  竹嶌繼夫
右者ニ對スル 叛亂被告事件ニ附、昭和十一年三月一日、東京憲兵隊本部ニ於テ、
本職は右被告人ニ對シ訊問ヲ爲スコト左ノ如シ
氏名、年齢、所属部隊、官等級、族称、本籍地、出生地、住所及職業ハ如何
氏名ハ竹嶌継夫
年齢ハ三十年
所属部隊ハ元陸軍教導學校歩兵科學生隊

族称ハ福島県平民
本籍地ハ滋賀県甲賀郡知土山町字南土山甲第二三二号
出生地ハ東京市四谷區永住町、番地不詳
住所ハ豊橋市小池町京塚二丁目四番地小柳津小次郎方
職業ハアリマセン
位記、勲章、記章、恩給、年金ヲ有セザルヤ
従七位、勲六等、旭日単光章、昭和大礼記念章、昭和六年乃至九年従軍記章、
満洲国建國功労章、満洲國大礼記念章 等ヲ拝受シテ居リマス

刑罰ニ処セラレタルコトアリヤ
陸軍士官学校本科ノ時、謹愼五日ト、
若松歩兵第二九聯隊ノ時に、素行不修ノ爲メ重謹愼二十日ニ処セラレマシタ

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二 ・二六事件

何ガ故ニ本事件ヲ起シタルヤ

明治維新ノ完成タル昭和維新ヲ翼賛シ奉ルニアルト考ヘタ結果ニアリマス。

二月二十六日ヲ選定シタル理由如何
同志對馬中尉ヨリ聞キマシタ。

對馬中尉ヲ磯部氏訪問トセシトキ同席又ハ会見セシヤ
同席モ會見モシマセヌ。

昭和維新ヲ翼賛シ奉ラント思ヒ立チタル時機如何
昭和三年十月 任官後カラ考ヘテマシタ。
本ヨリ當時ノ先輩 松平紹光歩兵大尉殿、植田勇歩兵大尉殿 等ト、
澁川善助 及 其後ノ知人 村中氏、磯部氏ト意見ヲ戰ハシテ漸次改革ノ氣持ヲ深クシ、
殊ニ満洲ニ行ツテカラ益々其ノ感ヲ深メマシタ。

對馬中尉トハ何時知合シヤ
豊橋陸軍教導學校歩兵學生隊附トナリマシテカラ、
區隊長室ガ一所ノ爲 大イニ意見ガ合ヒマシタ。

満洲ニ行キタル後ノ感想如何。
部下ガ眞ニ水火ヲモ辭セズ
其ノ指揮官ノ爲働キ得ル様ニ敎育シナケレバナラヌト言フコトヲ、
大イニ考ヘサセラレマシタ。

何ガ其様ニ考ヘサセシヤ
戰爭ヲシテ始メテ體得シマシタ。

磯部、村中ト會ヒシヤ
若松ヨリ上京ノ際、時々松平大尉ニ會ヒ 又 磯部、村中ニモ會ヒマシタ。

若松デ何カセシヤ
昭和八年一月頃 満洲ヨリ歸還後
松平大尉殿、植田大尉殿ト自分ガ主トナリ、皇道維新塾ヲ造リ、
昔ノ日新塾ニ習ツテ地方青年ニ對シ眞ニ國民タルベキ、腹ノ養成ニ勉メマシタ。
其結果 磯部、村中トモ會見シタノデス。

豊橋ニ行キテヨリモ磯部、村中、松平大尉ニ會ヒシヤ
定例休暇 衛戍地外 外出許可 ( 日曜等 ) デ東京市淀橋區上落合一ノ五一四 實母ノ処ニ參リマス際、
時々暇ノ際 會ヒマシタ。

澁川氏トハ磯部、村中ト會フ際會見セシヤ
會ヒマシタ。
私ガ會ヒニ行ク方ガ多ク 磯部、村中ハ私ノ實家ニ訪問シタコトハアリマセンガ、
澁川ハ時々極ク度數ハ少ナイト思ヒマスガ參リマシタ記憶ガアリマス。

具體的ニ決行ヲ語リシハ何時ナリヤ
二月二十一日夕刻 自宅ヘ對馬中尉ガ來テ具體的決行ヲ語リマシタ。
二月末カ 三月初メニ
東京デ暗殺ヲ決行スル故西園寺ハ豊橋デヤルコトニナッタト、對馬カラ聞キマシタ。
二月二十六日決行スルトノコトハ何時聞キシヤ
二月二十三日 對馬ト共ニ迎ヘノ自動車デ豊橋駅前 「 ツボヤ 」 旅館ニ行キ、
栗原中尉ニ會ヒ、
合言葉 突入時刻 突入方法ノ概要 服装 取止メノ際ハ東京ヨリ電報打ツコト
企圖ノ秘密保持ニツキテモ打合ガアリマシタ。

板垣中尉ハ其際來ラザリシヤ
板垣中尉ハ其際週番デシタカラ參リマセン。

板垣中尉ニハ誰カ傳ヘシヤ
對馬ヨリ傳ヘマシタ。

栗原中尉ハ何日豊橋ヲ立チシヤ
二月二十四日未明ニ歸リマシタ。

豊橋班決行資金トシテ栗原ト會見時 栗原カラ金ヲ渡セシヤ
對馬ニ金百圓 交附シマシタ。

何故ニ西園寺暗殺ヲ中止セシヤ
二月二十五日午前八時半カラ午後三時迄
井上中尉、板垣中尉、對馬中尉ト私デ話シ中、
對馬ガ區隊ヲ聯レテ行カウト言ヒマシタカラ、
板垣ガ 「 ソレハヨセ 」 將校ノミデセヨト言ヒマシタ。
井上ハ秘密ヲ隠スタメ殘リ、私ト對馬トデ上京シマシタ。

對馬中尉ト共鳴シアリヤ
總テノ點デソウデアリマス。

行動及信念ハ對馬中尉ト全然同一ナリヤ
同一デス。

本件ニツキ陳述スルコトアリヤ
陸相官邸ニ居ツタ時ニ
村中ノ処ニ松平大尉ガ會ヒニ來マシタガ、其ノ内容ハ知リマセヌ。
外ニ傳ヘルコトハアリマセン。

陳述人    竹嶌継夫
右讀聞ケタル処、相違ナキ旨申立ツルニ附、署名拇印セリ

昭和十一年三月一日
東京憲兵隊本部
陸軍司法警察官  陸軍憲兵少佐  神谷能弘
筆記者  陸軍司法警察官  憲兵軍曹  伊藤猛男

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