あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

渡邊敎育總監に呈する公開狀

2018年04月10日 05時02分25秒 | 眞崎敎育總監更迭

大眼目  第三號増刊
渡邊敎育總監に呈する公開狀
 
昭和十一年一月十七日
 
渡邊敎育總監に呈する公開狀
渡邊敎育總監閣下。
天皇機關説が國體反逆の不逞思想であり、
其の信奉者が逆臣國賊であること、
從って是れは斷じて芟除せんじょせざるべからざるものであることは、
今更此処に申述べるまでもない。
一木喜徳郎、美濃部達吉、金森徳次郎氏等が、
彼等を庇護し 支持する同質の勢力系統等と共に
擧國的彈劾を受けていることは固より其の所である。
然るに近時
「 陸軍に潛む天皇機關説信奉者を芟除すべし 」
「 渡邊敎育總監こそ這個の不逞奸なり 」
の 声 日を逐うて激化。
實に閣下 その人が彼の一木、美濃部、金森氏等に亜いで
 ----否、
敎育總監たり 陸軍大將なるが故に
却て彼等よりも遙かに重大に關心され彈劾されるに至ったとは、何事であるか。
新聞通信雑誌にも報道された。
國體明徴に尽瘁じんすいしつゝある諸方有志、就中在郷軍人團は續々 糺彈問責きゅうだんもんせきの態度に出でつゝある。
幾多有名無名の文書流言もとんで居る。
而して 客臘ろう九段に於て開催された全國在郷將校大會も
その動機の一半は閣下の此の問題に在ると 云はれて居る。
閣下。
傳へらるゝ事實は大體次ぎの如くである。
閣下は昨年十月三日午後、
名古屋第三師團留守司令部に於て下元司令官以下各隊長に訓示した後
懇談の席上で、
某隊長 ( 名を秘す) の
「 天皇機關説排撃、國體明徴問題に關しては、特に深甚なる注意を払ひつゝあり 」
の 報告事項を捉つかまへ來つて、次の如き意見を述べた。
天皇機關説が不都合であると云ふのは
今や天下の輿論
よろんで 万人無条件に之れを受入れて居る。
然し 之は明治四十三年頃からの問題で、
當時山県元帥の副官であつた自分は其の事情を承知して居る一人である。
元帥は學者を集めて種々研究を重ねた結果、
解決至難な問題として慎重な態度をとられ
終に今日に及んだのである。
同じく國體問題でも南北朝正閏
じゅんの如きは 簡單に片付いたが、
機關説問題は數十年來の難問題で到底解決するものではない。
機關と云ふ言葉が惡いと云ふ世論であるが、自分は惡いと斷定する必要はないと思ふ。
御勅諭の中に 「 朕を頭首と仰き 」 と仰せられてゐる。
頭首とは有機體たる人間の一機關である。
天皇を機關と仰ぎ奉ると思へば何の不都合もないではないか。
機關説排撃國體明徴と余り騒ぎ廻ること、殊に軍人が騒ぐのはいけない。
然して 翌四日某隊の演習視察後、再び各隊長を偕行社に招致して
「 昨日話したことに就いて誤解して貰っては困る 」
と 前提して
前日と同趣旨のことを繰返した。
尚 伝ふる所によれば 名古屋に於けるのみならず、
其他 二 三個所でも同様の説話をしたと云ふことである。
閣下。
果して然りとせば、是れ 實に純粋なる天皇機關説ではないか。

然も單純なる機關説主張に非ずして、
御勅諭の一句を借り來って之れを曲解し奉ると共に、
自己の不逞思想を御勅諭に結びつけて誤魔化し、正義化し、
不逞思想の責任根拠を畏れ多くも御勅諭に轉嫁し、
免れて恥ぢなからんとするものではないか。
朝野、就中陸海軍及在郷軍人が特に關心重大事として盡瘁しつゝある
國體明徴を陸軍の樞機に在つて逆まに誣妄するものではないか。
閣下。
軍隊内務書綱領四に曰く
軍人精神ハ 戰勝ノ最大要素ニシテ其ノ消長ハ國運ノ隆替ニ關ス 
而シテ 名節ヲ尚ヒ廉恥ヲ重ンスルハ我武人ノ世々砥礪セシ所ニシテ職分ノ存スル所
身命ヲ君國ニ捧ケテ 水火尚辞セサルモノ實ニ軍人精神ノ精華ナリ
是ヲ以テ 上官ハ部下ヲシテ常ニ軍人ニ賜リタル勅諭勅語ヲ奉體シ
我國ノ萬國ニ冠絶セル所以ト國軍建設ノ本旨トヲ銘肝シ
----苟イヤシクモ思索ノ選ヲ誤ルカ如キコトナカラシムヘシ----
軍隊敎育令總則第十五ニに曰く
國總ノ特長就中皇室ト臣民トノ關係ヲ明ニスルハ 忠君愛國ノ信念ヲ鞏固ナラシムル所ナリ
故ニ教育ニ任スル者ハ----自ラ研鑚ヲ積ミ修養ヲ重ヌルト共ニ 特ニ時世ノ變遷ニ伴ヒ
之カ教育資料ノ準備ニ遺憾ナキヲ期セサルヘカラス
實に 「 我國國體ノ萬國ニ冠絶セル所以 」 「 國體ノ特長就中皇室ト臣民トノ關係 」 と 云ふ。
其の點の重點は、欧米國家思想に於ける君主が國家の機關たり人民の公僕たるに對して、
日本天皇が斷じて然らざる所に存する。
然して 「 國運ノ隆替ニ関ス 」る 軍人精神の正大鞏権なる養成の最大条件とは、一に此の國體の信認體現にある。
即ち國體明徴は軍人の生命であり本務であるのだ。
敎育總監たる閣下は此の 「 教育ニ任スル者 」 の 中に於ける臣下最高の當局者であり 天皇の輔翼者である。
閣下にとりて 「 身命ヲ君國ニ捧けて水火尚辞セサル 」 「 軍人精神ノ精華 」 を發揮すべき
「 職分 」 とは、正に此の國體の一大事を天皇親率下の全陸軍將兵に
明確徹底して教育することにあつた筈である。
過去に於て解決至難の問題であったと仮定しても 「 特ニ時世ノ變遷ニ伴ヒ 」
十分に對処すべきものである筈である。
然るに彼の説話の如くんば、
閣下は其身陸軍大將とし敎育總監として、其の職分を盡さゞるのみか、
逆まに國體の大義健軍の本旨に背いて之れを惑亂し、日本臣民就中日本軍人にとつて
國運隆替に關する至極の大事たるべき國體明徴の努力盡瘁を讒誣ざんぶ阻止する者である。
軍隊敎育令は軍令第二號、軍隊内務書は同第九號を以て發布せられたる軍令事項である。
然して軍令とは 「 陸海軍ノ統帥ニ關シ勅定ヲ經タル規定 」
( 明治四十年九月十二日發布、軍令ニ関スル件第一條 ) である。
閣下の言動が教育令内務書等に背いて居る時、
そは明かに統帥を紊り軍令に違反せるものであつて、
陸軍刑法第五十七條に規定せる 「 上官ノ命令ニ反抗シ又は之ニ服従セサル者 」
即ち 抗命罪中の最も重き犯人とならねばならぬ。
況や機關に非ざる天皇を機關なりと誣ひ奉つて居るをや。
公然人の名誉を毀損したる者は罰せられ、上官を侮辱したる者は罪あり。
多数部下將校の面前に於て、大元帥たる天皇を誣妄せりとすれば、
閣下は單なる統帥紊亂違反たるのみならず、
實に由々敷き不敬の罪責を負わねばならぬことになる。
閣下。
吾々は閣下に對して斯かる不敬の妄信不逞の行動を敢てする筈はあるまいとも考えた。
只、之れを裏書するかの如き事例を一 二承知して居るが故に、
断じて一笑に附し去ることは能ざる者である。
閣下は昨年七月空前の大紛糾を惹起した林陸相の眞崎敎育總監更迭事件の時、
陸相の招電により帰京途中、
新聞記者に對して車中談を試み
本來人事異動は大臣が責任者で立案した上
參謀總長 敎育總監は只その決定に參与するだけで何等の權限もないのである。
だから今度の処置については大臣が自分の責任を全うするについて障碍があれば
これを斷乎として取り去るのは當然で、この點 軍のために大いに喜んでいる。

( 七月十七日東朝々刊、原文の儘 )
と 言明して、
統帥權の確立保全のために 大正二年八月勅定を經たる省部關係業務担任規定中の人事々項、
及び其の細部覺書を無視する態度をとり、
皇軍私兵化統帥權干犯の疑惑極めて深き陸相の行動に絶對的支持を表明した。
此の勅定規定は、當時山県元帥副官たりし閣下が内部的一當事者として
立案の理論的根拠も制定の事情經緯も十分御承知のものであつたこと、
機關説研究に關して當時の山県元帥の行動を承知して居るのと同様である。
( 昨年車中で話さなかつたのは御自分等のために都合が惡かったからであらう。)
「 大臣の意見通りにならぬことは斷乎として取り去るのが當然である 」
と云ふ閣下の思想行動こそが、大臣が皇軍を私兵化して統帥權を干犯する恐れがあるが故に、
制定され勅定を經た此の規定なのである。
故に特に重要なる將官人事に就て
將官ノ人事ニ就テ内奏スル場合ハ參謀總長及敎育總監ニ協議ス
とされたのだ。
三長官の人事こそ此の規定の重點であるに拘らず、此の規定外であるなどと云ふ驚くべき曲解を以て、
兩者と協議して其の同意を得ざるに此の規定を蹂躙して更迭を決意し、
上奏宸慮を煩わずらはし奉るに至った陸相の行動が、 上天皇の神聖を憚らず統帥權を輕んじ
皇軍を私斷する不逞のものであつたのだ。
( 意見一致せざる協議は協議せざる狀態と見做すのが協議の法的意義である。)
實に此の規定は勅定を經て統帥に關する内容をもつ 「 公布せざる軍令 」 である。
閣下こそは之れを曲解し蹂躙した陸相の行動を是認礼讃し 而して敎育總監の後任に就いたのだ。
閣下の心事是くの如し。
故に就任後僅かに十日、七月二十七日陸軍砲工學校初年度巡視の際、
同校食堂に職員學生を集めて
陸軍大臣を中心として團結することを要す
と 訓示をしたとのことも首肯される。
是れ不用意なる天皇機關説以上の不臣思想の表明ではないか。
( 右の訓示は印刷配布に際し、此の一節を妥当ならずとして學校當局が削除したと云ふことである。)
憲法に
「 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス 」
 とあり、
軍人勅諭に
「 朕は汝等軍人の大元帥なるそ 」
と 仰せられ、
「 夫兵馬の大權は朕か統ふる所なれは 其司々をこそ臣下には任すなれ 夫大綱は朕親ら之を攬り
肯て臣下に委ぬへきものにあらす 」
とも 仰せられ
「 下級の者は上官の命を承ること実は直に朕か命を承る義なりと心得よ 」
とも仰せられ、
軍隊内務書綱領一にも
「 軍ハ天皇親率ノ下ニ皇基ヲ恢弘シ國威ヲ宣揚スルヲ本義とす 」
と 大書してある。
大臣中心思想は、天皇を無視し奉る恐るべき不逞である。
閣下。
如是の事例は閣下が如何なる思想信念の所有者であるかを物語るものである。
世俗、此人にして此事ありと云ふ。
名古屋に於ける説話の如き、正に事實を疑ふ方が野暮かも知れない。
然も閣下は十一月特別大演習陪観に際して腕節の強さうな憲兵子を同伴してゐた。
是れが所謂派閥云々の或る立場に於て、或る種の豫想ある特異的存在の人物であるならば、
永田事件の後でもあり亦止むを得ざるものになきに非ずとして恕すべき點ないでもない。
此の點に於て、幸か不幸か、閣下はまだ夫程問題視とさるゝ底の人物ではない筈である。
然らば果して何が故であつたか。
無論名古屋問題に出發したる閣下自身の身邊警戒である。
嗚呼、閣下。
彼の問題が事實無根又は相違あつて、世上群議彈劾することが誤りであるならば、
何ぞ斯かる処行動に出づるの要があらう。
殊に身を以て君國に殉ずる本領とする軍人ではないか。
正々堂々として闊歩大踏すべきである。
脛に傷もつ人物が得てして犯す所の此種処置を、閣下如きまでが敢てするとは何事である。
疑はれても致方はない。
閣下は、凡て事實に非ず、相違誤解ありと申さるゝかも知れない。
然り。
吾々も亦 忠信り之れを折望する者である。
然らば閣下は、誤解され彈劾されつゝあることの眞相を率直に全軍全國民に公明にして、
自身受けつゝある逆臣國賊の疑惑、皇軍の浴びつゝある汚辱を一掃し、
動揺しつゝある國民を安んぜしめねばならぬ。
否1
先づ 閣下に伏して事情經緯を上聞し、斯かる大疑惑を受けたる不臣不徳を恐懼俯謝せらるべきであらう。
事は閣下自身の私的些事に非ず。
敎育總監陸軍大將たる帷幄の重臣渡邊錠太郎その人が、
畏れ多くも天皇に對し奉り國體に對して放ち打つた言動が 不敬不逞か否かの至重至大なる問題である。
純忠赤心の存する限り、寸刻と雖も 猶豫放任する能はざる所の事態ではないか。
々は囂々ごうごうの究明彈劾の國論に對して、
閣下が已に三月以上沈黙して何等の処置に出でられざることに深刻なる不満を抱く者である。
閣下。
美濃部氏も一切の公職を辭した。
金森氏も挂冠した。
一木氏も辭意を決していをる。
「 名節ヲ尚ヒ廉恥ヲ重ンスル 」
軍人精神は臣子股肱たるの本領に於て、
彼等よりも遙かに潔く鮮やかなる出処進退を要すと信ずるものである。
此処に至つては 區々たる事實の有無眞否ではない。
謹で茲ここに所見を披藶ひれきして 閣下の御心扉を叩く者である。
文辭礼にならはず、只衷情を諒とせられんことを。
恐惶再拝。


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