廿八日の永田事件、相澤中佐の公判は
午前十時五十五分再開後
身許調査、賞罰、經歴、家庭の事情、健康状態、趣味等につき尋問があって、
次に相澤の思想、信念を訊く
法 『 被告の日頃の感慨は・・・・ 』
相澤中佐は一段と聲に力を入れ 直立不動の姿勢で
相 『 私は小さい時から賢父に次のことを教へられました、
私の父は明治維新の際 大義名分を誤り、賊となつた事を残念に思ひ
「 お前が大きくなつたら陛下の御爲めに盡さなくてはいけない、今一つは世の中には自分のものは一つもない、
總て天子様からお預かりしているもので、恩返ししなくてはならない 」
と 教へられました。
かうして私は大きくなりました恭しく思ひまするのに、天皇陛下は天照皇大神と共に天地創造の神であります
大君 は古今東西、過去現在將來を通して絶對であらせられます、
吾々がこの世に生れた眞の意義は顕官や富豪になるといふやうな生物的慾望であつてはならない、
東西を通じて人間の眞の使命は道徳の完成と眞理の究明に向つて進むべきにある、
日本人は大神の広大無邊の懐に包まれて生まれているのであつて、
日本の使命は天の大岩戸を開いて廣く全世界に御稜威を輝かすにあります、
私の信念は以上述べました處によつて私利私慾の根源をなくするため明治維新の版籍奉還則り、
この總ての財を陛下に奉還するにあると思ひます 』
引き續き思想的、人格的に
影響 を受けたについては
相 『 かつて東久邇宮殿下が瑞巌寺に威らせられた時
「 禅は國家のため學ぶべきものだ 」
との御言葉を拝し、知人の紹介で仙臺の輪王寺に至り、無外和尚に禅の指導を受け、
更に修養を積むため時の東北帝大總長北条先生の許に弟子入りして種々思想的にも、
人格的にも多大の指導を受けた 』
この時裁判長
裁 『 無外和尚さんは まだ御無事か、そうして交際を續けているのか 』
との質問に相澤中佐は
相 『 結婚した後 二三度お目にかかりました 』
と感涙にむせびながら
師恩 の有難さを るる 述べ
更に
裁 『 被告の信念は・・・・ 』
との質問に對し
相 『 至尊絶對 ! 』
と結んで 午前十一時四十分 公判を打切る
第一回公判廷の相澤中佐
佐藤判士長 杉原法務官 島田検察官 鵜沢弁護人 満井特別弁護人
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昭和十一年一月二十八日、第一師団軍法会議法廷に於て
佐藤少将判士長、小藤、木谷、木村 各大佐 岩村中佐の各判士、
杉村主理法務官、島田検察官、鵜沢弁護人、満井特別弁護人 等関与の下に第一回公判が開廷せられ、
其の後二月二十五日、二・二六事件突発前日迄 十回開廷せられた。