あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

秩父宮関連下書

2016年11月15日 16時03分12秒 | 其の他

原田日記
十三年三月二十七日
これは 年をとったので言うのかもしれないし、どうせ、自分の死んだ後のことだろうが、
こんなような今日の空気が永く続けば、一体どうなるか分らない。
日本の歴史にも、随分いまわしい事実がある。
たとえば、神武天皇の後をうけられた綏靖天皇は、実はその兄弟を殺されて自分が帝位につかれた。
それはほんの一つの例で、そえいう事実は日本の歴史にも支那の歴史にもまだ たくさんある。
勿論、今後ともそういうことが、御自身からの御発意であるようなことは、断じてないだろうけれど、
しかし 周囲がそういう所に持ってゆくようなことになると、これはまことに判らない。
まさか 今日の皇族にそういう方々が、どうこうというようなことは無論あろう筈はないが、
しかし こういうことは、よほど今日から注意しておかねばならん、
ということを沈痛な面持で言って居られた。
十三年四月二十七日
まあ 自分なんかがいなくなってから後のことだろうけれど、
木戸や近衛 ( 時の首相 ) にも注意しておいてもらいたいが、よほど皇室のことは大事である。
まさか、陛下の御兄弟にかれこれということはあるまいけれど、
しかし 取巻の如何によっては、日本の歴史にときどき繰返されるように、
弟が兄を殺して帝位につくというような場面が相当に数多く見えている。
かくの如き不吉なことは無論ないと思うけれども、また、今の秩父宮とか高松宮とかいう方々に、
かれこれいうことはないけれども、或は皇族の中に変な者に担がれて、
何をしでかすか判らないような分子が出てくる情勢にも、
平素から相当に注意して見ていてもらわないと、事すこぶる重大だから、
皇室のために、また 日本のために、この点くれぐれも考えておいてもらわなければならん、
と いうようなことを真剣に心配した。
十一年七月一日
それから、これは他のことだけれど、
皇太后様を非常に偉い方のように思って、あんまり信じ過ぎて・・・・というか、
賢い方と思い過ぎておるというか、
賢い方だろうが、とにかくやはり婦人のことであるから、
よほどその点は考えて接しないと、陛下との間で或は憂慮するようなことが起こりはせんか。
自分は心配している。

秩父宮と天皇
満洲国側と、日本の軍部首脳との間には、秩父宮の日程を協議しておったが、
宮は、一切の決定を無視して独自に動かれた。
かつて、海軍の特別大演習の時に、
天皇の詔勅の席におつきになるように、私が秩父宮に申しあげた時、
「 今 茶をのみ始めたとこである 」
と 云われて、中々御動きにならず、閑院宮外、十余の宮様を困らせたのみならず、
天皇も困惑なさったことであった。
「 何事も閣僚まかせの昭和天皇と、一切独自に動き、他の言を容れない秩父さんとのお二人が、
兄弟であるということは、天道様のいたずらとしても、あまりひどすぎる 」
秩父さんは、お目にかかる度毎に、兄貴の悪口を云っておられた。
天皇とか陛下というお言葉は一度もきいていない。
二・二六事件は、かつての秩父宮の部下が、天皇の廃止を考えたのだと云う人があるが、
真に近くはないであろうか。
「 秩父宮が天皇であったなら、大東亜戦争で国を失うような事は無かったであろうと思われる。
万一、事情止むなく、戦争になったとしたら、敗れた時に 「 自決 」 されたであろう 」
・・・海軍少将藤森良高

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