あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

士官候補生 後藤映範 五・一五事件陳情書1 「 素因 」

2018年02月19日 20時07分35秒 | 五・一五事件


後藤映範
五 ・一五事件陳情書
公判ニオイテ陳述シ上ゲマシタルトコロヲマトメ、サラニ申シ上ゲ足リナカツタ点ハコレヲ補ヒ、
一括シテ真意ノ存スルトコロヲ申シ上ゲマス。
ナオ原因動機目的等ニオイテハ、特ニ個人的ナルコト以外ハ同志一般ニ共通デアリマス。
マタ時称ハ現在形ヲ用ウルモ過去ノ事実、思想信念等ノ陳述ニ関スル限リ、
ソレハ過去ノコトヲ意味スルモノデアリマス。
以上二点ニ御注意ノ上御披見願ヒ上ゲマス。

素因
・・・ここにいたるまでの陳述において、彼は當時の國際國内情勢について彼の考えを述べているが、ここでは略す・・・
以上ノゴトク國家内外ノ情勢ヲ認識シ、ソノ放見スベカラザルヲ感ジタノデアリマスガ、
サテ コレガ具體化シテ、ミズカラ改造運動實行、特ニ非常手段決行ノ決意ニ達スルニハ、
オノズカラ他ノ素因ガンクテハナリマセン。
タトエイカニ深ク國難ヲ感ジ、非常時ヲ認識シテモ、
自己ニ素因ガナカツタナラバ 必然的ニ實行ノ決意ニ達スルトハ限リマセン。
私ハ 自己ノ素因ヲ 軍隊敎育 オヨビ軍隊生活ニヨリ得タル信念 ト
明治維新史 ナラビ 維新烈士研究ニヨリ得タル信念 ノ 二ツ ニ見出シマシタ。
1  軍隊敎育オヨビ軍隊生活ニヨリ得タル信念
一體 帝國陸軍ノ軍隊敎育ノ根本精神ハ何ニアルカト申シマスルニ、
私ノ考エデハ 何時ナン時デモ君國ノタメニ喜ンデ死ネル軍人ヲ養成スルニアルト信ジマス。
コレハ 上かみ將校ヨリ 下しも 兵ニ至ルマデ同様少シモ変リハアリマセン。
士官學校教育ハ常ニコノ精神ヲモツテ行ナワレテオリマシタ。
軍隊内務書綱領ニ掲ゲラレテアルトコロノ、
「 有事ノ日 欣然トシテ起チ 慷慨死ニ赴クヲ楽シムニイタルベシ。
 コレ實ニ帝國軍隊ノ本領ニシテ皇室ノ藩屏タリ 國家ノ干城タルユエンノ道ナリ 」
ノ 文、コレガ 私ドモガヨツテモツテ生活スベキ原則デアリマシタ。
私ドモ 夢寐むびコレヲ忘レズ、ツイニ 長イ生活ニヨリ ソレガ第二ノ天性ト化シテシマイマシタ。
士官學校ハ學者ヤ技術家ヲ作ル所デハアリマセン、軍人精神 大和魂 ヲ鍛錬スル聖壇道場デアリマス。
トコロデ コノ魂ダケハ一人トシテ忘レズニ體得シテ學校ヲ出ルノデアリマス。
私ドモハ加茂規清ガ歌ツタ、
「 臣おみが身は日々死出の旅支度皇すめが爲には生きて歸らじ
ノ 精神ヲモツテ日々ヲ生活シテイマシタ。
古聖ハ 「 朝ニ道ヲ聽カバ夕ニ死ストモ可ナリ 」 ト言ワレマシタガ、
ソレドコロデナク、今、軍いくさ ノ術ヲ教ワレバ只今デモ戰場ニコレヲ役立テ
喜ンデ死ンデユクベキ身ナルコトヲ感ジツツ生活シテオリマシタ。
カク軍人的性格ヲ形作ラレテキタ私ハ、決死非常手段ノタメニ立タントシタ時モ、イササカノ躊躇モアリマセンデシタ。
「 日本ノタメ、義ノタメ、君國ノタメ 」
タダコレダケデ 自己ノ身ヲ鴻毛ニ比スルニ充分デアリマシタ。
私ソレ以上ノコトヲ考エマセンデシタ。
右ハ私ドモ士官候補生ノ特別ノ素因ト信ジマスカラ申シ上ゲマシタ。

2  明治維新史ナラビニ維新烈士研究ニヨリ得タル信念
今一ツノ素因ハ私ガ以前カラ明治維新史竝ビニ維新烈士ノ事業精神ヲ研究シ、
非常ニ大ナル影響ヲ受ケテオツタコトデアリマス。
私ガ維新烈士研究ノソモソモノ初メハ 幼年學校三年生ノ時ニ、
徳富蘇峰著 『 吉田松陰論 』 、頭山立雲翁ノ註ニナル 『 大西郷遺訓 』 ヲ讀ミ
異常ナル感激ヲ受ケタノガソレデアリマシタ。
當時少年の私ニハ兩偉人ニ對シ何ラ批判ヲ下ストイウコトハナク、タダ感激スルバカリデアリマシタ。
タマタマ當時ノ熊本幼年學校長 長深澤大佐殿ガ、維新史ナラビニ維新烈士ノコトニ關シ御造詣深く、
熊本ノ偉人横井小楠先生、宮部鼎蔵先生、加屋霽堅先生、
太田黒伴雄先生等ヲ始メ維新烈士ニ關スル豊富ナル オ話ヲ拝聽スルヲ得、
維新烈士ニ對シ異常ナル尊崇ト敬慕ノ情ヲ起シ、
コレヨリ非常ナル熱心ヲモツテ研究ニ從事スルニ至リ、爾後七年餘リ今日ニ至ルマデ繼續シテ參リマシタ。
私ガ維新烈士ヲ研究シタノハ烈士ノ崇高偉大ナル精神ガ自己ノ胸間ノ琴線ニ觸レ、
コレニ感激シ精神的向上ノ師ト仰ぎタカッタカラデアリマス。
一體私ハ特別ニ形式立ツタ修養、
例エバ宗敎的修養トカ修養會ノ修養ナドイウモノハ少シモヤツタコトハアリマセン。
私ノ人物ヲ養成シタル恩師ハ維新烈士ト軍隊敎育、軍隊生活ヨリ外ハアリマセン。
私ハ烈士ヲ研究シ始メテカラ今日ニ至ルマデ、烈士ヲ忘レタコトハホトンド如何ナル場合トイエドモアリマセン。
私ノ精神ヲ指導スルモノハ烈士ノ精神デアリ、
私ノ行爲ヲ批判スル準拠ヨリ證券タルモノハ烈士行爲デアリマシタ。
私ハドンナニ偉人デモアマリ輕々シク頭ヲ下ゲルノヲ好ミマセンガ、
維新烈士ニダケハ常ニ心ヨリ敬虔けいけんヲモツテソノ前ニ額ぬかずキマシタ。
ソレデ家ニ歸省シタ時ハ、
常ニ烈士ノ肖像ヲ床ノ間ヤ、ソノ他室中ニ掲ゲテソレト共ニ起居シテオリマシタ。
スルトソノ烈士ノ肖像ノ前デハ 不埒ナ心ヤ汚イ心ヲ起ソウトシテモ起スコトハデキマセンデシタ。
マタ烈士ノ遺文ヲ拝誦スルトキ、
私ハ熱心ナル宗敎信者ガ敎祖ノ遺文 スナワチ聖典ヲ拝誦スルガゴトキ氣持ヲモチマシタ。
烈士ノ遺文ハ私ニトツテハソノママ金科玉條デアリマシタ。
ココニオイテ私ノ烈士ニ対スル崇拝ハ研究ヨリシテ信仰ニ入ツテシマイマシタ。
私ハ決シテ烈士ヲ冷カニ批判致シマセンデシタ。
シカシ烈士ノ氣持ニダケハ私ハ最モヨク沈潜シ、コレト融合スルコトガデキタヨウニ信ジテイマス。
私ガ自分ノ貧弱ナル天賦ヲイササカデモ磨キ嚮上セシメ得テイルトスレバ、ソレハヒトエニ烈士ノ賜デアリマス。

シカラバ 私ガドンナ風ニ影響ヲ受ケ、ドンナ風ニ烈士ヲ學ンダカ トイウコトニツキ例ヲ擧ゲ、具體的ニ申シ上ゲマスト、
例エバ 吉田松陰先生等ハ最モ學ブトコロガ大キクアリマシタガ、至誠ヲ學ンダノハソノ一ツト申スコトガデキマス。
先生ノ遺文中ニハ到ルトコロニ誠トカ至誠トカイウ詞ガ出テイマス。
ソノ遺文ヤ傳記ヲ研究シテ先生ハ誠ノ魂ガアルト感ジテオリマシタガ、
アル時 先生ガ安政六年五月江戸ヘ送ラレル前 弟子ノ松浦無窮ノ描イタ先生ノ肖像ニ題サレタ自賛ノ中ニ、
「 身 國家ニ許セリ、死生、我久シク斎つつシム、 至誠ニシテ動カザルモノハ古ヨリイマダコレアラズ 」
という句ガアツタノヲ見テ、アア 孟子ノ言ツタ言葉ヲ先生ガ実現セラレタノダト、
始メテ事ノ詞ノ意味ヲ體得シタト思ツテ喜ンダコトガアリマシタ。
マタ 私ハ先生ノ松下村塾ノ敎育ニ對シテ崇敬ノアマリ、
タビタビコレヲ萩ニ訪イ カツ イロイロ研究シ、敎育者トシテノ先生ノ偉大サヲ知リ、
自分モ將來將校トナツタナラバ範ヲ先生ニトリタイ考エデオリマシタガ、
コレハ在學中方時モ忘レタコトハアリマセンデシタ。
マタ 私ハ死生観等デモ松陰先生ヤ南洲先生ニ學ンダグライデ 他ノ修養ナド前ニアリマセンデシタガ、
事件前後ヲ通ジ死生ノ安心ニ對シ イササカノ動揺ヲモ感ジマセンデシタ。
マタ 私ハ 年齢ノ關係上烈士ノ中デモ南洲先生ヤ小楠、東湖先生等ハ格別トシテ、
概シテ若イ、シカモ殉難烈士ヲトリ分ケ崇敬シマシタ。
例エバ 長州ノ人ニシテ年僅カニ一九歳ノ時 國士無双トイウ推賞ヲ松陰先生カラ受ケタ、
カノ禁門ノ變ノ殉難烈士 久坂玄瑞先生ノゴトキハ最モ敬慕シタ一人デアリマシタ。
先生ノ歌ニ
「 今日もまた知られめ露の命もて千歳をてらす月を見るかな 」
トイウノガアリマスガ、私ハコノ一首ノウチニ先生ノ哲學ト宗敎ヲ發見致シマシタ。
コンナ歌ヲ口吟ずさム時ハ必ズ作者タル烈士先生ノ心ノ中ニ分ケ入ツテ瞑想シ、
當時ノ狀況ニ身ヲオイテ考エ 烈士先生方ノ心ニナツテ口ズサミマシタ。
ソウイウ風にーニシテ烈士ノ精神ニ自己ノ心ヲ觸レサセテイルウチニ、
シラズシラズノ間ニ薫化セラルルトコロガ大デアツタヨウニ思イマス。

カクスルウチニ私ハ 烈士ノ精神何ラカノ形ニオイテ實施センコトヲ念願スルニ至リマシタ。
シカルニ国家革新ノ運動ニ関心ヲ有スルニ至リ、
ココニ維新烈士ノ精神、スナワチ日本道ノ精華を顕揚スルノ機ヲ得タコトヲ大イニ喜ビマシタ。
ソシテ 改造運動ノ見地ヨリ維新烈士オヨビ維新史ヲ考察シタ時 サラニ多クノ學ブヘキモノヲ發見シマシタ。
ソシテ私ドモハ烈士ノ理想ヲモツテ私ドモ 昭和維新ヲ志スモノノ理想トシタノデアリマス。
以上ガ維新史ナラビニ維新烈士ノ研究デアリマス。

以上二ツガ素因ノ主ナルモノデアリマス。

次頁  士官候補生 後藤映範 五・一五事件陳情書2 「 動機目的 1 」  に 続く
五 ・一五事件における士官学校生徒を代表して後藤の記述した陳情書。
行動をその原因・動機・目的に分けて詳細に述べ、思考と行動の連関を簡明に表現している。
一九三三年九月、関東軍司令部  『 五 ・一五事件陸軍軍法会議公判記事 』 より 抄録。


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