あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

栗原部隊の最期

2019年09月28日 06時28分27秒 | 栗原部隊


栗原安秀

首相官邸・栗原隊の最期
一、
やがて九時頃 全員集合がかかり 中隊は玄関付近に各教練班別に整列した。

静かに台上にあがった栗原中尉はガックリした表情で訣別の訓示をのべた。
我々は万感胸迫る思いで 一語一句をかみしめるようにして聴き入った。
切々として述べられる中尉の訓示は 真に痛恨悲壮の極みで、
これを承る中隊の兵力二八〇余、寂として声なく、
唯 中尉を慕う想いのみが沸々として溢れ出るばかりだった。
やがて 列兵の中から嗚咽が洩れはじめた。
そして涙が止めどなく流れ出し、いつしか全員の号泣となった。
栗原中尉の人間味にほだされた全員の心は、
ひたすら 栗原中尉のためと それだけが生甲斐であったのである。
兵隊は手ばなしで泣いた。
この時隊員一同は死ぬ覚悟を決めていたのである。

訓示が終わると栗原中尉の万歳が唱えられ、
余韻のただよう中を迎えの参謀に伴われて正門を出ていかれた。

これが栗原中尉との永久の別れになろうとは知る由もなかった。
中尉が去ったあと 私は五体から力が抜けて行くのを自覚した。
やがて入れかわりに鎮圧軍がきて武装解除を命じた。
消沈した我々はいわれるままに
小銃と帯剣を所定の場所に置き丸腰になると
すぐトラックに乗り帰隊、
ここに四日間の事件の幕はおろされた。

歩兵第一聯隊機関銃隊 二等兵 森田耕太郎 『 不審な女たち 』 
二・二六事件と郷土兵 から

二、栗原中尉と林少尉が山王ホテルの方から帰ってきた。
 中尉は紅白のタスキをかけ決意の様子をみせたが、
顔面に悲壮感をみなぎらせ、無言のまま入ってくるとすぐ門扉を閉じさせた。
すると それを待っていたかのように
鎮圧軍が戦車を先頭にして ナダレの如く門の外側まで包囲網を圧縮してきた。
正に袋の鼠である。
栗原中尉は正門近くの庭にリンゴ箱を置きその上に立った。
隊員は期せずして中尉を囲むように集った。
彼は しばらくあふれる涙を拭いていたが
ようやく思いなおして別れのあいさつを述べた。
その時の内容は大体次のようだったと記憶している。

「 戦いは終わった。 残念ながら昭和維新の達成はできなかった。
 お前たちは四日間よく奮闘してくれて感謝にたえない。
第一師団は近々渡満の大命が降下する予定だが、むこうへ行ったら皇国のために大いに働いてもらいたい。
俺はここで皆と別れるが お前たちのことは決して忘れることはない。
呉々もお前たちの武運長久を祈る 」

あいさつがおわると
全員ワッと泣きながら栗原中尉の側にかけ寄り、
口々に 「 栗原中尉殿 」 と叫びながら、かわるがわる中尉の手を握りしめた。
それは二度と会うことのできない栗原中尉への永遠の別れであった。
日頃暖かく訓育してくれた立派な教官として、
反面国民が安んじて生活できることを悲願として昭和維新を目論んだ
熱血漢栗原中尉に対する悲しい別離の赤裸な姿でもあった。
下士官も 二年兵も そして初年兵も
ひたすら涙に濡れながら中尉を慕う真に劇的なシーンであった。
中尉も泣く、林少尉も泣く、
四日間蹶起部隊として営門を出た時の気持とは裏肚に、
その情景はあまりにも悲愁に満ちたエピローグであった。

ここで同席していた桜井参謀の発意によって栗原中尉の万歳を三唱、
終了と同時に下士官以上は桜井参謀に誘導されて正門を出て行った。
これが 我々と栗原中尉、林少尉との永久の訣別となったのである。

間もな く幌つきのトラックが約十輌正門前に到着し、
我々は武装解除の後にこれに乗車、一路帰隊の途についた。

歩兵第一聯隊機関銃隊 二等兵 小高修平 『 首相ではない 』
二・二六事件と郷土兵から

三、二十九日鎮圧軍の総攻撃があるというので、
 官邸内の椅子や机を窓や出入り口に積み上げ、バリケードを築き、
カーテンを引きさいて全員白ダスキ、白鉢巻きで身をかため戦闘準備につく。
私は二階の正面の窓で小銃を構えた。
すると何時頃だったか議事堂の方から将校がやってきた。
歩哨が 「トマレ!!」 と どなった。
将校はその場に足をひろげ仁王立ちになるや大声で
「俺は陸軍少佐戒厳参謀の桜井だ。天皇陛下の命により武装解除を命ずる」
と 二回くりかえいていった。
ここにおいて 栗原中尉は最早これまでと、
全員を前庭に集合させ徐に訓示をした。
「 永い間上官の命を守ってくれてありがとう。
今度の事はお前たちの知らないことで責任はこの栗原がとる。
この世では再び会うことはあるまい。
満洲に云ったら国のためしっかり御奉公してくれ 」
ここかしこに すすり泣く声がおこる。
栗原中尉も泣く。
やがて泣声は全員の合唱となった。
しばらくして栗原中尉は官邸内に消え、
我々はその場に小銃と帯革をはずし丸腰になってトラックに分乗した。

歩兵第一聯隊機関銃隊 二等兵 小林太三 著
雪未だ降りやまず ( 続・二六事件と郷土兵 )  から

四、翌二十九日、その日は運命の日だった。
 明るくなると戦車が盛んに放送していたが私にはよく聞けなかった。
九時頃 突如 栗原中尉から命令が下った。
「 全員撤収せよ 」
鎮圧軍が包囲する中で撤収とはどういうことなのか、
全員が玄関前の広場に集合すると 栗原中尉がガッカリした表情で訓示をした。
その要旨は、
「戦いは終わった。お前たちはよく頑張ってくれた。
唯今から下士官兵は聯隊に帰れ、満洲に行ったらしっかり奉公せよ」
というのものであった。
すると間もなく鉄帽をつけた桜井戒厳参謀が装甲車でやってきた。
彼は我々の帰隊を誘導するためにきたようである。
そこで武装を解いた全員は栗原中尉との涙の別れを交した後、
表門を開けて外に出ると
何事ぞ鎮圧軍が議事堂工事に置かれた石材の間から銃口を出して
私たちを狙っているではないか。
その距離約三〇米、
しかもLGの射手はゆびを引鉄にかけ完全な戦闘態勢である。
私たちは武装を解き今から聯隊に帰ろうとしているのに、
鎮圧軍側はなお私たちに狙いを定めているとは何の真似だ! 
この時私たち全員は期せずしてムラムラと憤怒に燃え、
キビスを返して邸内に駈けもどり
MGをとって一斉に官邸内に立てこもり戦闘準備に移った。
この時私は二階に上った。
「 貴様らがその態度をとるのなら俺たちだって帰隊を中止して戦うぞ 」
銃隊はこうして再び鎮圧軍と対峙したのである。
ここであわてたのが桜井参謀で折角帰隊に移った私たちを怒らせ、
再び官邸内に入ってしまったのであるから
その驚きは大変なものだった。
ここにおいて銃隊から三年兵の猛者が選ばれて桜井参謀と交渉し、
鎮圧軍の将校と栗原中尉を加えて協議の末、
鎮圧軍側の布陣態勢を解くことを条件として
帰隊することに話がついた。
これで一触即発の危機が去り、
私たちは叉帰り仕たくをしていると
待っていたように輜重一のトラックがきた。
そこで 一コ分隊ずつ乗車し 一路帰隊した。

歩兵第一聯隊機関銃隊 上等兵 内野嘉重 『 断水作戦に備えて 』
  二・二六事件と郷土兵 から


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