るりこんの気が付いたらの日記

あるアマチュア声楽家の忘備録とつぶやき

楽器ならではの事情とクラシックとは何ぞや

2016-02-02 18:24:00 | 声楽(レッスン)
同業者の自主企画コンサートは、楽器の性質上、やむを得ないのかもと思うことばかりであった。
独奏曲が少ないために積極的に他の楽器メンバーを勧誘して、アンサンブルをやろうとする管楽器組に、アンサンブルの曲を押し付けられて疲弊して自分の希望する曲も出せない弦楽器組。
声楽は、ソロ+ピアノ伴奏の曲ばかりやると、時間を占有しているように見えるし、かといってアンサンブルを頼めば、それはそれで楽器組に負担をかけさせることになってしまう。
アマチュア同士だから、お金で納得してもらうこともできない。
器楽とトリオになるような小編成のアンサンブルは、バロックのコロの曲か、ウェーベルンの無調音楽か、とても後世に残せるとは思えないような現代の作曲家の作品が中心。ヘンデルや現代アメリカなど英語の曲が多いが、アメリカ駐在員経験のあるトランペット氏と組むのもいかがなものかと考えたり。

ポピュラー音楽をピアノで弾くから出してくれ、という人もいたが、私は「ガーシュインなどクラシックに近いものなら」という条件を出したが、先方は古い映画音楽を出してきた。
もっと新しい時代のアメリカ音楽もあるからそれと一緒にしてもと思ったが、映画音楽は「クラシック」というコンセプトから逸れるのではないかという反対があった。
反対意見にしてみれば、「クラシック」というものは舞台で演奏するための曲だから、ということだったが、それを言ったら聖堂で歌う宗教音楽もオペラハウスで歌うためのオペラアリアも小ホールではナシってことになるでしょ。
「クラシック好きな固定客を大事にしたい」という意見もあったが、おそらく殆どの客はクラシックが好きなのではなく、複数の共通の知人が面白そうなことをしているという好奇心が殆どかと思う。それに、メンバー増えているのに、「席数増やすことない」とか言って、それまでに来た客を断らなくてはならない状況にして、よくそんなこと言うなって思った。

よく考えれば「クラシック」の定義って、何ぞやって感じだな。「何年までに作曲された曲」というのでもないし。
昔流行したテレビの主題歌が「日本歌曲集」にあったり、イタリアの民謡やコマーシャルソングが「イタリア近代歌曲集」にあったりするしねぇ。
後世に残せるような芸術性があるか、っていうことになるのかなと思うけど、情報化社会で、アメリカの無名の作曲家の曲の楽譜をその場でダウンロードしたり動画で確認できる時代、作品そのものだけで、後世に残せるというのかどうかだと思う。
 
次回はもう曲が決まってしまったため大きく曲目を変えることはできず、今さらだが、曲の希望を出した人が参加費用を多めに出すか、リーダー(本番ごとの当番制)か独奏曲の少ない楽器の人にアンサンブルの選曲を任せるなどしないとならないだろう。
次回の本番終了後の反省会には、改善案を出そう。