るりこんの気が付いたらの日記

あるアマチュア声楽家の忘備録とつぶやき

ドイツ歌曲の研究会デビュー

2019-05-27 16:58:00 | 声楽(レッスン)
今年に入ってから、見学させていただいたドイツ歌曲の研究会に入らせていただけることになった。

アマチュアがアマチュアに物申すというのが、とっても嫌いなのだが、歌手であれ伴奏者であれコメントを言う方の多くは音大出身でドイツにまで留学された方が殆ど。そんな方たちが、何の謝礼もなく、アドバイスしてくれるというのなら、それはそれで有難いことではある。

アマチュアのご高齢のテノールの方、前回も歌っていらしたが、その方に対しては皆様ものすご~く、厳しい言い方。正直、コワイ。
次に同じくアマチュアのバリトンの方、この方は演奏会では、専門で勉強された方と比べても遜色ないように感じた方で、確かに素晴らしい声をお持ちであった。ただ、注意深く聞いてみると、結構、気になる所も出て来るんだなと思った。
次に芸大別科出身のソプラノの方が出られて、結構ドイツリートのレパートリーは豊富そう。結構、コンクール歴もある方なのだけど、高音域は辛そうだった。確かに、常にベストコンディションとは限らないよね。ただ、最初に「調子悪いんです。ごめんなさい」と言ったこともあったのか、周囲も最初の男性ほど厳しい言い方はされていなかった。

で、最後に私。
私にも手厳しい意見が来たけど、最初から素晴らしかったら、ここの研究会の意義がなくなるじゃん、って思うことにした。
けど、「あなた、ドイツ発声ではありませんね」なんて言う人はどこにもいなかった。

そこの元主宰者でアドバイザーという方が、「あなた、音大を出ていらっしゃらないの?ドイツ語の先生はドイツ人ではないのね。私が基礎から教えてあげるから、うちにいらっしゃい。文学部でドイツ哲学を勉強されたことは決して無駄ではないと思うわ」とおっしゃった!プロを育成された実績のある方が直々に仰るとは!

何より、この会で嬉しいのは、作品に対する解釈重視なのである。
まず、自分で歌詞は訳せ、それからその時の作曲者の状況も踏まえる必要があるから作曲された年も調べること。これを丁寧にやること。
全然チンプンカンプンな発声のことばかり言われても、何も身につかないとしても、こういうことをするだけでも、意義はありそう。

何よりも嬉しいのは、西洋の思想や歴史を学び宗教も受け入れて生きていたこれまでの私ならではの歌を確立できる可能性というものを感じたことであった。


急にR.シュトラウス

2019-05-25 12:53:00 | 声楽(レッスン)
今年の1月に見学、2月に演奏会を見させていただいたドイツ歌曲の研究会で、L先生に一言断りを入れてお許しをいただいた後、3月に申込書を送ったのだが、何の返答もなかった。
見学させてもらった時も、演奏会へ行った後も丁重なフォローがきたので、確認させてもらったところ、どうやらメールが届いていないということだったらしい。添付ファイル付きのメールは受け付けられないとかってヤツではないだろうか?

申込書には音楽歴を書く欄があったので、それで落とされたのではないかと思ったが、そうでもなかった。

とりあえず、1週間後に研究会があるから、良かったら歌ってくれないかと。
年度ごとにテーマを変えているということで、今年度のテーマはR.シュトラウスとマーラー。

新しい曲に取り組むのはムリなので、
①献呈(Zueignung)
②万霊節(Allerseelen)
③沈まれ、わが魂(Ruhe,meine seele)
を選曲。
いずれも年始にオーストリアの音大のコレペティに見てもらった曲。
けど、①②を歌う人は他にも沢山いる、ということをあとで知った。

曲解説の資料も必要ということなのだが、それは、自分で歌詞を訳す必要がある。
まぁ、それは大丈夫♪・・・というか、自分で歌詞を訳せないなら歌うなってことなのは理解できた。
確かにネットにも載っているが、よく見ると確かに過去完了形が現在形になって訳されていたりするから、自分で訳して咀嚼することの大切さを感じた。

そして、会員の伴奏者のご自宅を訪問して、3曲合わせをした。
そして、明日はドキドキの本番。先輩たちに、色々言われたりするのだろうか?と思うけど、楽しみ。
プロやプロを目指す人、音大や教育大学で専門に勉強した人がどういう所に着目して学んでいるのか、という点を見たいのである。


音楽祭の準備

2019-05-15 06:38:00 | つぶやき
地域の音楽祭の委員会に出席した。
プロオケのある幹部が同席して、「地域の若手育成に貢献したい」という旨を話されていた。
へき地で育った私に言わせれば、あまりにも恵まれ過ぎる地域ならではなことだな、と思った。

そして、その方のプロフィールを見てびっくり。父の出身地の隣町の出身ではないか。農地しかない場所のはずだが、そのような所から、プロオケの幹部が輩出されるとは。
そのような所からどのようにしてヴァイオリン教室に通ったのだろう?と思ったけど、あまりにもその方の器の大きさに驚いてしまった。

同時に、そのような器の大きい人間になるには、まず成功できないとムリなのだと悟った。


先は長くないのかも

2019-05-10 14:55:00 | 声楽(レッスン)
「プロ」「アマ」といった、他人が作った概念は、一旦、置いておいてこの話。
かつては、音大に進みたいと思って準備したこともあったので、時間とお金に余裕が出たから「始めた」という典型的なレイトスターターのアマチュアとは言えないし(決して自分の方が上という気持ちはない)。
よく「楽しむのがアマチュア」というが、あまり「楽しい」と思ったことが殆どない。ただ、スポーツと違って結果がすぐにわからないから、自分が向かないということに気付くのが遅かっただけ。
楽屋で衣装をつけてはしゃいで写真を撮っているプロソリストたちを見ても、仲間とも思えないし、まして、「なんでプロのアンタたちが、アマチュアの私より楽しそうなんだよ」と、腸が煮えくり返りそうだった。

誰も理解者がいないのは仕方がないとは思うけど、なぜ歌うのか?といえば、過去の自分自身への償いというのが一番近いかもしれない。
高校時代は、地元の音楽系短大だったら、音楽の道に進んでも良い、とは言われたけど、卒業後、どのような活動しているのか見えず、とても行く気になれなかった。
その話を今になってすると、「今の人生で正解だったのでは?」と殆どの人が言うが。
当時は情報が少ない時代ということもあったが、どんなにレベルの低い学校だとしても、「どうしても」という藁に縋りつくような気持ちがあったら、また別の人生があったのかも。

「自立した社会人としての誇り」と、引き換えに犠牲にしてきたものだとも言える。

自分の門下の姉弟子などを見ても、どうも50代後半になると、アマチュアは音程が怪しい感じになっている人が多いような気がするのだ。もちろん、例外もいると思うが、「自分はそうならない」と断言できる自信は全くない。
更に、アマチュア団体でさえ、60歳を過ぎた女性ソリストは見かけない。アマチュアオペラのソリストの世界では非常に活発に活動されていたあるご婦人と親しくなれて喜んでいたら、「もう卒業」と言われていた。

それでも、殆どの先生は「歌は何歳になっても大丈夫です。遅すぎることはありません」と言うだろう。
そりゃあ、大切なお客様に「これからは更に下手になります」なんて言うわけないもの。実際、努力次第では、劣化を遅らせることはできるのかもしれない。

となると、私も、信頼できる先生について努力しても、これから伸びることが期待できるのはせいぜいあと10年。

その後はどうするのか?
本業に専念するのか?
歌に代わる新しい生きがいを探すのか?
劣化が進むのを認めながら続けるのか?

これはまだよくわからない。

ただ、リミットを意識しながら、活動しないとならないな、と思う。



魔笛、立ち稽古開始

2019-05-07 06:30:00 | オペラ(出演)
6月、7月に予定している「魔笛」で、そろそろ暗譜しないと・・・という感じになりつつある。
最初の三重唱は、ほぼOKかな。

侍女3だけは、オーディションを受けることもなく、「頼まれる」。
本当はソプラノなのに・・・

バリトンの先生にそのことを話したら、「頼まれるってことは良いことでは?」と言われた。

団体によって、セリフが全部違うのが大変・・・

それにしても、どうして色々な団体で「魔笛」をやりたがるのかなぁ。

女性キャストが9人もいるから?
登場人物が多くて、集客しやすいから?
諸事情もあるのだろうけど、「こんな作品もあります」というような気概のある団体ってないものかしらね。