るりこんの気が付いたらの日記

あるアマチュア声楽家の忘備録とつぶやき

立て続けにレッスン

2013-04-30 01:34:00 | 声楽(レッスン)

この間の土曜日は、F先生のレッスン。その後、スタジオで2時間練習。次の日はL先生のレッスンだった。

まずはF先生のレッスンの状況。
コンコーネ25の7番は上がり。6番よりは好きだったのだけど。
「カプレーティとモンテッキ」の「ああ、幾度か(O quante volte)」は、一回通した後、レチタティーボのところを中心にやった。カデンツァのところもあまり言われなく。9月に本番をやるから、それに乗せましょうね、ってことで。
まだ本番に出すには十分な状況ではないと思うのだけど、ハイCまであるのに、喉にも無理な負担も感じない。
9月は5分枠になるので、この曲の間奏部分をカットすれば、小曲1曲増やせるのでは?という話になり、私はプッチーニの「そして小鳥は」を提案したが、その場で曲が思い浮かばない、ということで、ベッリーニの「もしも私ができないなら(Almen se non poss'io)」を挙げたら、許可を頂けた。同じ作曲家でやった方が、喉にも良いだろうということで。
これだけなら、9月まで持たないだろうから、ムゼッタは?ドニゼッティのリタは?なんて言われたが、ムゼッタは自分には意外すぎるし、リタは知らない曲だと思っていたら、結局「私の名はミミ(Si, mi chiamano Mimi)」で決定。

帰りは、明日のL先生の曲も考えてスタジオ練習。F先生の上がりになった曲も念のためさらってみたりした。


6月に20分枠のコンサートがあり、もう本来締切を過ぎたはずだったが「まだ1コマ空きがあります」ということだったので、応募した。しばらく経っても、どうなったのか返事が来なかったのだが、やはりHPでは「まだ空きがあります」の状態だったので、自分より早く、応募した人がいて決まってしまったけど、忙しくて更新できていない状態なのかな?と思った。
帰りの途中、携帯からネットでメールを確認してみると、「受け付けました。お待ちしています」とのことだったので、これから曲目考えなきゃ。


つづく

夫の本音聞いたり

2013-04-24 22:10:00 | 声楽(レッスン)
夫の知人で、合唱団に入っている上、個人レッスンも受けているご婦人がいる。
そのご婦人、自分が参加する合唱団の公演のチケットを90枚売ったのだそう。

聞くところによると、同僚(おそらく個人的な売買は禁止されている堅い会社だと思うが)や歯医者にまで売ったのだそう。
夫に関しては、私の都合も聞かずに「奥さんの分もね。ハイ2枚」と言われたのだそうだ。(私は都合が悪かったので、友人と聞きに行った)。

よくアマチュアはお金を取るべきかどうか、という議論が時々他人のブログが出ているが、そもそも演奏そのものにかかる費用というのは、出演者のギャラだけではないはず。アマチュアでも、共演者がプロの場合は有料になることもあるだろう。私は肯定も反対もしない。まぁ、私の今のレベルだったら、最初からお金を取れるレベルではない、というのは十分承知している。

私は、もう一方のライフワークでの視点のせいか、コンサートに行くたび、ついつい収支計算を予想してしまうクセがついてきている。だから、入場料の安いコンサートで、チラシの質と、ホールでの場所とお客さんの数を見て、「収益はチャリティに使わせていただきます」なんてコメントを見ると「偽善くさい」と思ってしまうのだった。

それにしても、そのご婦人、合唱で90人も集められるのだったら、ぜひ自分のリサイタルも開けばいいのに、と夫に行ったら、「ジャイアンのコンサートじゃあるまいし、やめてくれ!」と言っていた。
私に対しても、内心そう思うんだろうな・・・(遠い目)


「永遠の愛」上がり

2013-04-13 08:53:00 | 声楽(レッスン)
来週は、会社で推奨している国家試験なのだが、残業が多いわ、もう一方のライフワークのプレゼンの準備やらで・・・

土曜はL先生のレッスンを受けてきた。曲は、ブラームスの「永遠の愛(Von ewiger Liebe)」「君の青い瞳(Dein blaues Auge)」、シューベルトの「音楽に寄す(An die Musik)」、ドン・カルロの「世の虚しさを知るあなた(Tu che le vanita)」だった。

ドイツ語は大分子音が明瞭になってきた、と「永遠の愛」は上がりになり、「次の曲持ってきて」と言われた。
「世の虚しさを知るあなた」は、ずっと通すようなレッスンばかりで、どちらかといえば、発声が中心だったのだけど、今回はレチタティーヴォのテンポ感を細かくやった。

で、最後は、また「ワーグナーやっては?」と聞かれた。
「無責任な」とは思うけど、本場の重鎮に「素晴らしい」とでも思うことが目的でもないのなら、この機会に勉強すればいいじゃない、とも思ったりして・・・

次の曲はシューベルトの「糸を紡ぐグレートヒェン」か「のばら」、ブラームスの「虚しきセレナード」か「我が恋は緑」のいずれにしようかと考え中。


日本語フィガロの合唱

2013-04-07 09:33:00 | 声楽(レッスン)
昨日は、日本語フィガロの練習に行った。本来の「フィガロの結婚」では合唱は3曲なのだけど、ソリストだけが歌うところで合唱が入ったりするようにアレンジされていたり、レチタティーボの箇所がセリフになっていたりしている。
スザンナ役の人が来ていたので、マルチェリーナの代役としてセリフのやりとりをやってみた。
あとはそんなわけで、合唱が歌う場所を確認。主宰者の好みに合うような合唱の歌い方って、こうなのね、ということを再認識。F先生やL先生のベルカント的なソロのレッスンとはやっぱりどこか違うような感じがする。あまり深くとかレガートにとか歌おうとしない方が良いみたい。
それにしても、オペラの練習って、拘束時間が長い。

その後、F先生のレッスン場へ移動。発声練習の時は、「あまり調子良くないみたいね」という感じだった。やっぱりどこか喉声が入っているみたいなんだけど、10年近くやっていて、それを解決するために「柔らかく曲線的に」とか「ポジション」とか「声帯の位置」とか「息の乗る声」とか色々なことを言われていたけど、自分では確認しようのない不可解な部分が沢山ある。音なんて、触ることも目で見ることもできないのだし。実際の自分というのはそこらへんの技術というのは、10年近くやっても、正しい方法では全然向上していないのかも、という不安があったりする。

曲はコンコーネ25の7番に入った。6番に加えて捏ねくり回すような難しさなのだが、ベッリーニのオペラ・アリアでカバレッタを歌うには大切なテクニックの前段階としてやっておくべき、ということだった。大人になって声楽を始めてまだ声質もわからなかった頃、「何を目標にして歌いたいのか?」と聞かれて、自分に合わない曲は挙げられない、と思ったものだけど、ドニゼッティ、ベッリーニ、初期ヴェルディのようなカヴァティーナ・カバレッタ形式のアリアを歌う、ということがその1つの答えであると思う。
もっとも、私の声質で一番合うのはプッチーニ、という人はかなり多いのだけど。

アリアは、「カプレーティとモンテッキ」の「ああ、幾度か(O quante volte)」を歌ったけど、テクニカルな感じはするけど、思いも込めやすい、良い曲。
やっぱり、レチタティーボのテンポ感や音程と、カデンツァの発声や発音が課題だと思った。