るりこんの気が付いたらの日記

あるアマチュア声楽家の忘備録とつぶやき

コロナ問題と娯楽の価値とは?

2020-04-29 17:28:00 | つぶやき
2月頃から演奏会などのイベント自粛の雰囲気が伝わってきて、私も2回本番中止となった。
自分が参加したことのある団体も延期・中止を余儀なくされたようである。
そして、プロの音楽家をはじめとするイベント関係で生計を立てる方もかなりの窮状であることは承知している。
文化芸術とは、「娯楽」の一種であり、「不要不急のもの」という扱われ方になっている。
これに抵抗しようと、Webを使って動画配信をしたりする音楽家がいる一方、小さなサロンでコンチェルトを公演したマエストロもいる。

ところが、改めて私は考えるのである。
本来人の心を豊かにするために不可欠のものである存在である文化というものが、これまでどれだけ人々の心に寄り添えていたのだろうかと。

途上国の中にはヨーロッパのクラシック音楽そのものを知らない国も沢山あると聞く。
日本であれば、義務教育の音楽の授業でレコードでクラシック音楽を聞いたりする機会はあっただろう。
が、それを生で楽しめるか、更には自分達が楽器を演奏したり合唱を歌ったりする機会があるかについては、地域によって、異なっている。
さらに、音楽を学ぼうとするにしても、地域だけではなく、家庭環境も大きい。
偉大な音楽家や名歌手の伝記を読んでも、大抵は貴族や富豪のお世話になっている。
つまり、最初から「恵まれた人」のために存在するのである。

大人になっても、それは変わらず・・・というか更にタチが悪く。
一般社会で学歴を聞かれることはど殆どないが、音楽関係者は初対面で「音大は出ているの?誰に習ったの?」なんて質問をする人は多い。
まず、本人の演奏そのものを知ることよりも、どこで誰に習ったか、つまり生計を立てるのに厳しい世界に入るだけの覚悟がある人と楽しみだけでやっている人をまず区別するところから始めようとしている。
客席にいても舞台そのものよりも事前に配られるプログラムに載っているプロフィールに関心がある人もいる。
今更、音大卒やプロと同じように扱って欲しいということではない。
ただ、芸術というものが、どれだけの人の心に寄り添えていたのか?ということ自体が疑問なのである。
もちろん、プロになるのにかなりの苦労や犠牲、覚悟があったのかもしれないが、それで他人に提供できる価値というのはあったと言えるのだろうか?あったとしても、一部の「恵まれた人」たちに対してだけではなかっただろうか?

テレビで「娯楽」と言う言葉が出て来たので、注意してみると「パチンコ」の話であった。悪者扱いされているパチンコの方が、恵まれない境遇の人たちをワクワクさせるという点においては、優っているのかもしれない。


反脆弱性

2020-04-25 12:44:00 | つぶやき
本業で、ある飲食店のママに会いに行った。今はテイクアウトのみに絞っているから、心配な気持ちで行ったのだが、とても元気そうだった。
それも強がりとかカラ元気というものではない。日頃融資を申し込んでも断られてばかりだったのに、コロナのおかげで叶ったと。金銭的に余裕が出たので、それを活かして取り組んでみたいと意欲的な様子だった。

彼女が言うに、世の中がピンチとなるような出来事になると、とても元気が出てしまうのだそうな。
東日本大震災の時もそうだったと言う。

次の日、病院の検査の待ち時間に読んでみた本で「反脆弱性」という言葉があることを知った。
これは「外乱や圧力によって、かえってパフォーマンスが高まる資質」のことを言うのだそうで、まさに彼女はこのタイプなんだろう。
このタイトルの分厚い本が出ているので、ゴールデンウィークの間にでも読んでみようかな。



本当にコロナって禍だけなんだろうか

2020-04-21 12:55:00 | 声楽(レッスン)
このブログ、見ている人はおそらく音楽と何らかの関わりを持っている人が多く、今頃不便と不安な日々を過ごされているのだろうとは思うけど、あえて。

メゾの先生のレッスンをスカイプで受けているとはいえ、当分、本番も見込めないだろう。本番がないのにどこまでモチベーションを維持できるか・・・これも考えてしまう。
本業では、多くの人の窮状を聞かされた。一見、関係なさそうな業種まで影響を受けていることを知った。一日中拘束されていた所から、帰ってきたら苦手な人から「電話連絡取れない!」と苦情メールが来ていたことに余計疲弊してしまった。


「コロナが憎い。これをまき散らした中国が憎い。困っているのに助けようとしない政治家が憎い。」
・・・世の中の人は、こんなことばかり。


けど、私はそんなに「憎い」とは思えない。
「憎い」と言いたくなる環境は若年期に十分に経験したから。
むしろ「感謝」さえしたくなる。

ありがたいなと思ったのは、
●決まった曜日に決まった場所に通うのが難しい私にとって、興味はあっても継続的に通うのは難しいと思ってしまうピラティスやヨガのレッスンを都合の良い時にオンラインで受けられるようになった。
●委員会やら理事会やら名誉職的な集まりの移動に時間を取られる必要がなくなった
●国際的な名演奏家も下手くそなアマチュアもウィルスの脅威は差別しないと悟った
●感染にはやんごとなき人々も最下層の人も差別しない。違いはあるのは人間が作った環境であることを悟った
●文化は人を差別するがウィルスは人を差別しないことを悟った
●富裕層の援助なしには成立しない性質を持つ芸術に私は向かないと気付いた

このような状況が長く続けば、多くの業種がなくなってしまうのも無理もないかと思う。
しかし、逆に生まれる業種も出て来るのではないだろうか?
何しろ多くの不便な思いをしている人たちのニーズというのはかなりの可能性があるのではないか。


学び直しがしたい!

2020-04-16 17:03:00 | つぶやき
本業の世界では、コロナ問題で窮状を訴える人たちの話ばかり聞かされる。私も何とかしてやりたいと思って、色々な情報を持ってきたり、アドバイスしてあげたりするのだけど。
こういうのって、情勢に左右されるものだから、最近できたばかりのことをあたかも何十年も知り尽くしたかのように言わなくてはならず、また数か月後には無意味なものになっていることもありうるのだ。

そんな中、何とか勉強したい!と私は思う。

仕事と直結する薄っぺらい情報だけではなくて、けど色々思いついてしまう。

学生時代に勉強していたこととか、いつか読みたいと思っていた古典とか。
それを勉強して何になるの?というのは十分承知の上なんだけど。
小学1年生くらいでも良いから勉強する時間取りたいよな。

一般公募コンサート中止

2020-04-09 14:25:00 | つぶやき
コロナ対応で、本業の仕事が入った。「3密」の環境に詰めるばかり。このために4時間も待った人を書類不備で突っ返す心苦しさといったら。
以前はとてもゆったりした雰囲気で17時には帰ることができた環境だったというのに。
「接触する人を8割減らしましょう」なんていうけど、1週間で会った人の人数を考えると、その仕事だけで50倍くらいには増えるぞ。

それでも、自分でも他人を救う手助けになるのなら、とまるで杉原千畝みたいな気分になってくるのだ。結局、奢った勘違いに過ぎないというのは十分承知だけど。

4月中旬のピアニストの個人宅の中の小さなホールで30分間「世界のうた」をテーマに歌おうと思っていて、伴奏ピアニストまで決めていたが、コロナ問題のため中止となった。
こんな時に「歌っています!」なんて言える状態ではないとは流石に思ったが、それでも観客が家族だけでも良いから、細々としてでもやろうなんて思ってはいた。
しかし、あの場所にいって、「歌どころではない!」と痛感した。


結局のところ、私にとって、音楽というものは、とても他人を救えるようなものではない。
人間が生存する、という点からして、芸術の優先順位は非常に低い。
それでも、他人を救えるような芸術というのはもしかしたら存在するのかもしれない。
けど、それは「プロとアマ」とか「仕事と趣味」といったようなものではなく、本当に自分を信じ覚悟のある人が叶えられるものなのだろうと思う。
私にはそれが、欠落しているのである。