るりこんの気が付いたらの日記

あるアマチュア声楽家の忘備録とつぶやき

ゲレルトによる6つの歌曲 Op.48

2020-10-15 07:15:00 | 声楽(レッスン)
「ゲレルトによる6つの歌曲」全曲の本番が終わった。
久しぶりに取り組んだベートーヴェン歌曲であった。

地域の芸術イベントということもあるので、通りすがりの見ず知らずのお客様が多いのかと思ったが、有料ということもあり、殆どが知っている方ばかり。

人に頼まれて歌うということは、それなりの水準を求められるから大変なのだけど、依頼者は「努力は認める」的なコメントをしていった(つまり結果はまだまだってことだよねぇ)。
6曲用意したが、途中で一部だけにしろ、と言われる可能性も考えて、11月の自主企画コンサートでもこの曲を歌う計画にした。

女声がこういう曲歌うか?という感じだったのは確か。
「ベートーヴェン歌曲集」のCDを見ても、女性歌手が出しているものは殆どない。


やはり、イタリア物やれと・・・

2020-10-06 16:28:00 | 声楽(レッスン)
イタリア物しかやらないバリトンの先生が教えて下さっている音楽教室で、どうしても「こうもり」のアリアを準備したく、ドイツ語も可能な先生を紹介してもらった。私より半周りほど若い女性の先生で、六大学を卒業後、芸大に入り直したということもあり、シュールな表現もなく、理論整然とした説明の仕方に好感を持った。オペラはこれまで出られたことはないが、宗教音楽のソリストはよくされているし、何カ国語もの歌曲も歌えるようだった。きちんとした一般世界の常識も備えた方のように思えた。

「こうもり」は中止となったが、その後、ベートーヴェンの「ゲレルトの詩による6つの歌曲」を習った。
正直、この曲って、テノールかバリトンのような男性向きの曲なのだと思うのだけど、「ベートーヴェンイヤー」だからってことで頼まれてしまい、必要に迫られてお願いしたのである。
一見、コラールのような誰でも歌えそうな曲ばかり集まっているのだけど、女性が歌うには結構キツイというのがわかった。
この歌曲が今度の日曜日で一回本番が終わるのだけど、その後何の曲をする?という話になった。

ドイツリートじゃだめですか?と聞いたら、「イタリア物のアリアをやるべき」と。
せめて、トスティ、ドナウディは?とか聞いたりしたのだけどねぇ。
もしかしたら、フランス物のオペラに出るかもしれません。なのでフランス語には慣れておきたいです、と話したら、フォーレをやっては?とおっしゃってくれた。

自分でも不思議なくらい、どんどんアリアが嫌いになっていっているのである。
分不相応なアリアを渡されて、アマチュアらしく大声だしてストレス発散できたら満足でしょ的なやり方だったから。

何より、一つの作品のごく一部のパーツ、というものに魅力を感じないのである。

丁度、メゾの先生に関しても同様なことなんだな。せっかく日本歌曲の大御所でもあられるというのに、私に勧めるのはイタリア物。

自分自身の成熟度を考えたら、「今は回り道、焦らずに」「ベルカントの基礎をしっかり」なんて言うのは正論なのだろう。
だが、長期間取組んでも全然上達せず(これは自分自身の問題にも心当たりはあるが)、「もう声がかかるのはこれで最後かもしれない」と思いながら、オペラの端役を貰ったりしているのに、それでこの先、何か良い事あるの?と思ってしまうのである。


傲慢と謙遜

2020-10-04 10:09:00 | ノンジャンル
音楽をやっている人の中でよく聞く話題として「傲慢な態度を取る人ほど下手で、謙遜な人ほど上手い」という話を聞く。
その説はあながち間違っていないと私も思う。
なぜなら、傲慢であるということは、他人に対して上から目線になっているということであり、それは自分自身の実力について課題を認識して改善していこうという意識がないからである。

よく日本人では「謙遜」というのは「美徳」だと言われている。
だが、私自身、「謙遜」という人で好感が持てる人というのは、なかなかいない。
例えば、周囲に向かって「ドイツ語読めな~い」というのなら、一人で改善するように努力するか断るかどちらかではないだろうか?それを引き受けた後で、あえて周囲に話すのは、「うん、うん、そうだよね。難しいよね~」と相手に言わせることを期待しているようにしか見えないのである。

「うん、うん、そうだよね。難しいよね~」と言って互いに傷を舐め合う関係、これが本当に素晴らしいものなのだろうか?
むしろ、何だか相手の足を引っ張ろうとしているように思える。

かつて,L先生のレッスンを受けていた時、「私、なかなか上達しませんね。」と言ったら、「歌手である私の実力を否定した」と怒り出したことがあった。尊敬される歌手ということと生徒の悩みに寄り添う指導者との区別ができていないのでは、と思ったが、ご自身だけではなく、家族や生徒といった身内に対しても誇らしいものだと考える人であった。
その考えは必ずしも悪いものではないようには思えた。