るりこんの気が付いたらの日記

あるアマチュア声楽家の忘備録とつぶやき

ツェルリーナ

2013-10-31 01:16:00 | 声楽(レッスン)
数日経ったが、この間の日曜日はF先生のレッスンだった。
コンコーネ25の11が終った。次は12番に進んで良いとのこと。
改めて音取りしたけど、これは長調の方がしっくりきそうな感じの音楽だと思うな。

レッスンでは12月の本番のためにベッリーニ歌曲の「もしも私ができないなら(Almen se non possio)」と、ボエームの「私の名はミミ(Si, mi chi amano Mimi)」を歌ったが、やはり本番のために何度もこなしておく必要があると思った。
それから、まだ間があるから、ということで次回はモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」 のツェルリーナの「打て、打て、マゼット(Batti,batti)」をやってくるようにと言われた。
かなり昔、「薬屋の歌(Vedrai carino)」をやったが、とても自分には似合わなさ過ぎて、スーブレットは先生から勧められない限りやらない、と思ったのだが、今更ながら、勧められたのだった。
アリアに入りがけの人がやる曲かもしれないが、別にそれだからイヤというのではなくて、どうも私にはしっくり来ないのである。
華やかなコロラトゥーラならともかく、細い声、軽い声というのは、自分が目指したいと思えるものではない。苦悩する人間の情念みたいなものを表現するのが好きだな。
スーブレットやるならトスティやる方がまだ良いとは思うのだが、こればかりは今の自分の課題として必要なものと思いながら粛々と勉強するしかない。


ヴィヴラートを考える

2013-10-19 23:22:00 | 声楽(レッスン)
声楽の勉強を10年経つが、まだまだ自分には習得されていないと思うもの。

それはヴィヴラートである。
よく高校生の頃は、「ヴィヴラートなんてつけて歌ってはいけません」なんて言われたりしたことがあったので、それっきりヴィヴラートつけたい、つい最近までは思ったことがなかったのだが。
でも、L先生は、よくヴィヴラートをつけて歌っている。これは技術的なことか自然なものなのかよくわからないのだが、「あなたの歌い方はこうだけど、息を流してこんな風に歌わないとならない」と言うとき、私の歌い方を真似するときヴィヴラートはついていないけど、お手本として歌うときはヴィヴラートがついている。
今度、L先生に深く突っ込んで聞いてみようかな。

この間、合唱で出演した和製オペラでも盲目のソプラノ歌手が繊細でヴィヴラートのついた声で歌っていたのが印象的だった。
どうしたら、そのソプラノ歌手やL先生のようなヴィヴラートで歌えるんだろ、って思ったりもするのだけど、根本的に体の使い方が違うんだろうな、と思ったりする。


話は変わり、今日はF先生のレッスンだった。
ベッリーニ歌曲とミミを歌ったが、最後にeで終わる時や短くスタッカートで歌うところは、どうも発声のポジションが悪くなという指摘を受け、しっかりと下に向けて息を流しながら、支えたまま音を切ること、ということを言われ、新たに覚えようと思ったのだった。


経営理念の意義について学びました

2013-10-14 09:27:00 | 声楽(レッスン)
昨日は、もう一方のライフワークの勉強会で「経営理念の意義」というものについて、議論した。このライフワークというのは、対象が、民間企業であることが殆どだけど、最近はあえてNPOのような営利性の低いところもやってみたい、と思う人も少なくない。
一時期、「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」という本がブームになったが、組織を運営することは利益を追及する企業活動のみに限ったことではないはず。

さて、急に話題が変わるが、自分がアマとして続けるための目標としてなら、次のことがあげられると思う。

①自主企画コンサート
②アマチュア・コンクール
③オペラ出演

①は、一番やりやすいのかも。特に結構な数の曲が集まったから、来年を目標にしたいとは思う。でも、最初は自分だけのリサイタルはムリなので、他の人に声もかけながら30分、40分と伸ばせるようにできればと思う。
②これは、相対評価なので、地道にチャレンジし続けるしかない感じ。
③これも自分と合うところを探し続ける必要がある。

オペラ出演に関して、私個人はチャンスさえくれるなら、有料公演でも無料公演でもどちらでも良い。だって、自分の事情とぴったりでチャンスをくれる団体を見つけること自体難しいから。
中学生の部活だって、ブラバンや合唱の定期演奏会にお金とっているのに、大人のアマだけどうのこうの、って感じでもない。
アマがアマのために作っている団体もあれば、プロがプロのために団体を作って、脇役や合唱やその他雑用の頭数のためにアマの手を借りている所もある。前者はともかく後者は、プロは自分のキャリアとチケット販売ノウハウ習得のためにやっている。そんなプロとして成長できる貴重な機会をアマが余計なことして奪うわけにはいかないでしょ。準備に時間をかけてくれるわけでも役をくれるわけでもなく、雑用の他に、プロのギャラとチケットから、印刷物代、場所代から全費用の負担はアマのお前たちでやれ、というのなら、私も勘弁。おそらく、団体としてもプラスにはならないことだと想像する。
逆によくあるバレエ教室のように週に数回、主宰者の丁寧な指導を受け、その門下から目標となる先輩も誕生し、1~2年に1回発表会がありその度に参加者は全員数十万負担するが、ゲストの男性プロと組める役がもらえる人だけ、さらに数万円の追加料金、というのなら、それはそれで納得できるが。

しかしながら、合唱含めアマのくせに有料というのがイヤな人は来なければいいだけ。万人ウケなんて狙えないのが芸術というもの。
有料だからプロの公演だと思ったら、アマも出てきてガックリだった、というのもあるだろうが、「プロもアマも一体となって」というコンセプトは最初から打ち出しているのだからそれに共感できる人が来ているようである。
アマと同じ舞台に上がるのはイヤというプロがいたら、いくら高いギャラを示されても断ればよいのではないだろうか。
その団体や公演の理念に賛同できる人が、ファンとなってくれるならそれで良いのだと思う。ニッチでも、根強いファンと長い関係を築くことも組織上の戦略の一つだろう。おそらく、この人たちは「アマのくせに金とって云々」なんて思わないはず(というか独自性があるので、そんなことはどうでも良いと思えるだけの意義を感じてくれるのだろう)。
しっかりした理念があるからこそ、何十年もついてくる人もいるのだろうとは思う。

逆に言うと、アマがアマのために作っている団体というのは、「お金は取りません!キリッ」という所が多いが、数回の公演で休止してしまう所も多い。少なくとも何十年も続いているなんて話は聞いたことがない。とりあえず、「続けられる組織」であることが大切というのは、プロもアマも有料も無料もないと思う。
その点、長く続けられているところは、アマでも、ベテランとなると歌うこと以外にも運営上のノウハウが身についている感じがする。
有料でも無料でも、それぞれの組織運営上の様々な課題があるようで、労力でも金銭面でも何かしらのメンバーの負担は必要だろう。そういう面でも、収益目的の団体でなくても「理念」というものは必要なのだと考える。



トスティもやりました

2013-10-12 23:23:00 | 声楽(レッスン)
今日は、F先生のレッスンだった。
12月に発表会があり、ベッリーニ歌曲の「もしも私ができないなら(Almen se non possio)」とボエームの「私の名はミミ(Si, mi chiamano Mimi)」を歌うので、それに加えて、トスティの「秘密(Segreto)」をさらった。
F先生がよく言うのは、後ろの響きを意識すること、ポジションを下げて、深い発声を心がけること、ということである。自分が自分の歌を聞いて「良い響き」と思っても、他人からはそのようには聞こえていないことがある。
特に、私の発声に関する課題を考えると、喉が強いので、喉をつかったまま響かせることができるようになってしまい、まろやかで奥行きのある空間がなさそうな発声になってしまっている、ということだった。
大抵、自分からは暗めの声だと思うくらいが、F先生は「良い発声です」と言ってくれるような傾向があると思う。

それぞれの曲でいうと、「もしも私ができないなら(Almen se non possio)」はもともとメゾフォルテで入るので、私にとってはラクなのだけど、最初にしっかりと深い声で入ると、後のコロラトゥーラが楽なような気がした。
ミミは、ピチカートの伴奏で、どうも可愛く歌おうとしてしまうのだけど、そこで発声がういてしまう、ということだった。
トスティは、7年くらい前のリベンジ曲だったんだけど、長調になる時に音が高くなるだけではなくて、音量がピアノになるので、抑えようとするあまり、どうも弱々しく安定しない感じになってしまうようなのであった。長い曲だから、歌える場がみつかるかどうかわからないけど、トスティの中では思い入れがある曲。
今度、20分枠の一般公募コンサートで「トスティ歌曲集」みたいなプログラム組んでみるのも悪くはないかな、とか思ったりもしてしまう。



次のことを考えよう

2013-10-11 12:11:00 | オペラ(出演)
アマでも役が貰えるチャンスのあるオペラの団体というのは、できては休止したり、ということを繰り返しているっぽい。
結構続いている団体もある、といえば、プロが役を貰っていて、アマは合唱、主宰者好みのカラーに染まりきって雑用もこなすような人は小さい役をもらえるチャンスもないことはないけど・・・?という所だろうか。組織運営的な事情もあるのだろうが・・・
平均的日本人より重めの声である自分らしさを否定してまで、役を貰えるアマのベテラン団員のように細い声で歌うということに目標は抱けず、ただ短期間で慣れない発声で多数の合唱をこなして喉を酷使され続けるだけ、というのは、繰り返せることはできない。
合唱でも、独唱では得られない面白さがあったり、勉強になったりすることはあるし、団体ならではの経験がつめるのは承知だけど、しばらく公演がないというので、目標がないことで努力するのは難しい。
で、次に公演が決まったら、また3か月前に召集がかかることに?
もっとも合唱というものは、自分らしさなんて考えていては、いけないものであるはずなのはわかっているんだけど。
芸術は無慈悲なもので、努力が報われないこともあるというのは承知の上だし、団体行動だから色々な負担もあるのは仕方がないとしても、限られた中から自分に向く所を地道に探すしかないのかもしれない。

自分が暮らしている隣の自治体で、アマでも役が貰えるチャンスのある市民オペラの団体があることを知った。
しばらくガラ・コンサートばかりだったが、最近全幕の稽古もやっていて今年の12月に「魔笛」の公演予定があるとのこと。
全幕はモーツァルトや邦人作品、オペレッタが中心だが、ガラ・コンサートではヴェルディやヴェリズモの重唱もやっている様子。
しかも「12月に在籍にしていないと、次の公演の役が決められません」ということは、それなりに準備期間をかけてくれる、ということは期待しても良いのだろうか?

でも、練習が日曜日だけ、というのは難点。来年の6月くらいまでは、日曜日のスケジュールは埋まっているし、普段好き勝手にさせてもらっている夫の手前、ということもあるし・・・。