るりこんの気が付いたらの日記

あるアマチュア声楽家の忘備録とつぶやき

コールユーブンゲンと楽典取り寄せました

2016-03-31 00:05:00 | 声楽(レッスン)
中学生の時からコンコーネをやっていたこともあって、本来はその前にするとされるコールユーブンゲンはまだやったことがなかった。
最初、L先生に頼んだが、「アマチュアは好きな曲を個性を活かして歌っていれば良い」と断られてしまった。F先生に頼むとOKを頂き、出版社を指定してきたので注文して取り寄せてもらい、地方公演から戻ったらすぐに引き取りに行った。

正直、1か月間に全幕オペラの合唱を2公演、ソロの演奏会を2回。それぞれ全部違う曲だから、燃えつきてしまうのではないかともいう気もするんだけど、それはそれで良いかな。
私は「何歳になっても好きなことして偉いですね」と言われてまで歌を続けたいと思わない。そのように言われるようになる頃が引き際だと思うので、そこから逆算すると短期的な目標も見えてくるのではないかと思う。


地方公演終了

2016-03-29 06:25:00 | オペラ(出演)
オペラの合唱で出演した地方公演が終了した。
飛行機で行って、バス乗って船。でも地元の方の歓迎ぶりに感動。
公演が終わった後は、近隣の都市で滞在中。この芸術祭の他の作品を見たりしながら、仕事にも活かせるネタはないか、と思っていたりする。

それにしても、必ず毎回何か失敗しているね。1分間で服装を着替える必要があり、本番の時にはそれができたのが嬉しくなり、舞台の上でノリノリになったら、上手から退場するべき所ができなくなってしまい、下手から出ることになってしまったが、演出上マズイことになってしまっていた。

次の土曜日にはバリトンの先生の音楽教室の発表会。ここの音楽教室の発表会は2回目だが、オーナーはプロの演奏家でも指導者でもなく、前回は先生はお見えにならなかった。でも今回はいらっしゃるということで、緊張する。



カタカナ言葉は止めて!

2016-03-21 10:51:00 | つぶやき
金曜日に本業の会合があり、今話題の産業用語の一つである、あるカタカナの専門用語について、もっとわかりやすい言葉を考えてくれないか?という依頼が来て、議論した。
わざわざその言葉を排除する必要があるのか?そのような言葉のアレルギーを取り除くように相手を啓蒙することも必要ではないか、という議論が出たが、色々な人にわかりやすく伝えることを心がけるには、カタカナや堅すぎる漢字四文字以上の言葉は避けるべきだよねぇ、と。

土曜日は、F先生のレッスンで、ヘンデルをやり、ポジションを下げた発声について戻った。
イタリア人歌手のマスターコースを聞いて、少しは改善したかな、と思ったのだが、もう「ポジション」っていう言葉を使いたがる声楽家の言葉そのものがイラっときてアレルギーを感じるな。
歌っている本人にしたら、声なんて触ることも見ることもできないのだから、「ポジション(=和訳すれば「位置」)」なんて、どうやっても確認することはできない。しかも、そのようなことにすることで、具体的にどのような効果が出るというのか、また自分が感じている課題に対してどのように解決できるのかが示されていない。

それだったら正解がわかるソルフェージュとかディクションの細かいミスを指摘してくれって、思う。

掘ったような音程の取り方をした歌い方を求められるので、周囲からは「変なクセ」としか呼ばれていないし。「自分以外の人間は、全員先生だと思え」という言葉も一理ある。頼んでもいないのにモノ申す連中は、経歴や肩書に関係なくいくらでもいるんだよ。

重厚なイタリアオペラの歌い方を習っても、音大出身者でもないアマチュアレベルのオバサンに機会があるイタリアオペラの団体が存在するわけでもないし、合唱ではそれとは正反対の幼くて細い発声が好かれるわけだから、そんな発声ができるような指導も受けたいものだな(嫌味でもなく、本音です)。
かといって、しっかりしたトレーナーのいる合唱団だと、声が細くなる前に先輩から苛められそうだから、入りたくはないけどね。


コールユーブンゲン

2016-03-14 07:42:00 | 声楽(レッスン)
難しい曲を渡されても、本当に自分が上達しているのかどうか不明なところがあった。
仮に上達したとしても、時々は基礎的なものに戻らないと、基本を忘れてしまうような気がするのも心配であった。

コンコーネは中学生の頃から途切れ途切れに続けているが、ずっと固定ドであった。

Cの音だけが、「ド~」と響いているように聞こえてしまい、高校時代に聴音を見てくれたピアノの先生は、「中途半端な絶対音感」という指摘をしていた。当時の声楽の先生は、「移動ドができないようでは、音大には進学できませんよ」と言っていたが、受験要項では「どちらでも良い」になっていたし、「固定ドでも音大入学できた人いるじゃん」って思った。しかしながら、バリトンの先生は、私が移動ドができない、ということに困惑していたようだった。どうやら声種が違う固定ドの人に階名唱法を教えることは、難しいようだった。
固定ドを批判したブログも発見してしまい、やっぱり高校時代に移動ドを覚えられなかったツケもあったのではないか、と最近思う。
しかも、コンコーネの前に学ぶとされているコールユーブンゲンはやったことがなかった。

ソルフェージュがだめでも、徹底して旋律を覚える、という方法もアリだが、私自身、どんどん暗譜力が衰えてきているような気がする。それは何も音楽だけではなくて、他の勉強も同じ。単に納得いかないことも暗記すれば、ということではなくて、理論的な裏付けを理解しないことには、覚えられなくなってきてしまった。

前衛的な現代音楽のオリジナルオペラ全幕の合唱のアルトパートを1ヶ月で覚えなくてはならない、という無茶な経験もしたので、改めて新曲視唱の勉強をし直したいと思った。

無調コロラトゥーラが強みのL先生にソルフェージュをお願いしようと思ったが、「アマチュアは思い入れが伝わる歌い方が大切」とか言って取り合ってもらえなかったので、F先生に聞いてみると二つ返事でOKであった。
ついでに、和声も勉強したいから、楽典も勉強し直すことに。黄色いハードカバーの本、高校時代に使っていたけど、実家に置いてあるから、また買い直さないと・・・

よく「大人になってから初めても大丈夫♪」的なキャッチフレーズの音楽教室を見かけるけど、大人になってまっさらな状態で始めた方が有利なこともあるのではないかな。



合唱の高齢化と衰退

2016-03-09 08:13:00 | 声楽(レッスン)
児童合唱団の指導をしていた父は、行く先々でNコンで受賞していた。そんな父を見て「私もテレビに映りたい」という超不純な動機で中学時代、合唱部に入っていた。
顧問の先生が半ば強制的に声の良い男子を連れてきたりして、何とか人数を維持してこられたのだが、その先生が転勤になったら、男子はいなくなり人数が激減。Nコンどころじゃなくなった。
けれども、新しい顧問の先生はミュージカル「森は生きている」を文化祭でやりましょう、ということで私は女王役をゲット!今思えば部員が少ない状態でよくアイディアを出してくれたと思う。
私が卒業した後は、部は衰退してしまったようだったが、また顧問の先生が変わるとNコンで賞が取れるようになったらしい。


今でも知人に誘われて時々合唱を聞きに行くが、どこも平均年齢が高い。
企業の中の合唱部とか、学校のPTAのママさんコーラスとかは、還暦過ぎた人はいないとしても、パソコンを使いこなせるような世代の人が心から合唱を楽しむ意味ってナニ?と思う。
「大声出してストレス解消」とかいうのなら、合唱よりは人間関係のいざこざもなく好きな曲を選べるカラオケの方が良いじゃないの?
学校の音楽の授業で、合唱をやる意味は「集団行動の大切さを経験するため」という名目があった。一昔前は、日本の産業は製造業が主体だったから、集団行動に必要なことは若いうちから学ぶ必要があった。それに、労働組合とか左翼運動などが盛んな時代だったから、団結心を高めるためにも合唱を歌う習慣があった。
でも、今は一個人が、インターネットにつないだパソコン一台で、仕事ができる時代だよ。企業勤めしても、自分のキャリアが上手くいかなくても、それは企業の環境のせいではなくて自己責任とか言われるような時代に、合唱が人気のあるスタイルだとは思えない。
仕事のためなら理不尽なことも我慢すると思うが、そうではないのだから、好きでもなく楽しくもないことをする必要性もない。

今でも意識が高いハイレベルな合唱団はあるだろうけど、それはそれで出る杭打たれそうなので、ご遠慮したい。
比較的、ヒマだったら参加しても良いかな、と思うのは、「第九」「復活」「メサイヤ」「カルミナ」みたいな日付・会場・曲目が明確で、本番が終わったら解散する所。先輩がいない、というような所が良いかも。でもそうしたら団員が思うように集まらなくて困るのか。


現役世代は仕事が忙しくて趣味をやっている時間がないから、という人もいるが、それならなぜ私の自主企画コンサートで、楽器メンバーが毎回増えていたり、アイディアで地域の音楽祭にチャレンジしようとするアマチュア管弦楽団がいるのだろう?
出身学歴でキャリアが全部決められていて、その枠組みを出ることが許されない一昔前の製造業のような合唱のスタイルが合わないからではないのか?

自主企画コンサートでは、当初メンバーがどんどん増えていくことに困惑していたのだが、演奏する側にとって面白みがある運用をしているということは自負しても良いのだ、と思うことにした。