常日頃から、私がどうしても納得いかない言葉がある。
それは「幸せ」という言葉。
なぜか、女性向のものにこの言葉は多くみられる。
男性の場合、「実現」「達成」なんて言葉の方が多いのではないかな。
本業がらみの人が「バリバリ働くのと、無理なくそこそこで働くのと女性はどちらが幸せか」という話題をしていたのだが、そもそも「バリバリ働くのと、無理なくそこそこで働くのと男性はどちらが幸せか」といった議論が出ないこと自体、おかしいではないか、と指摘してやった。そうしたらその人は「幸せとは男性は考えてはいけないものです」と返答した。
本来「幸せ」という言葉は、性別など関係なく、全ての人間が求めるものではないかと考えていたのだが、「男の子は水色、女の子はピンク」なんていうように、女性だけの単語になっているように思える。
(私のとらえ方がひねているというのなら、検索エンジンで「女性 幸せ」「男性 幸せ」の検索結果を比較してみれば良いだろう)
そして、伝記の本に載っている人物で、この「幸せ」という言葉が似つかわしい人は男女関係なく少ない。
では、そうでない人間は、どうしていったのかといえば、不遇の環境に負けず、自分の人生と社会を切り開いていったのである。
つまり「幸せ」という価値観を持つには「今の境遇に満足できること」が大切なのであり、逆に現在の社会や自分の境遇に対して疑問を持って切り開いていく人生とは相反するものである。
もっとも「幸せ」を感じるということも能力の一つであると思う。ただ、私にとっては、これが人生の目的ということにはしたくないものだと思う。
それは「幸せ」という言葉。
なぜか、女性向のものにこの言葉は多くみられる。
男性の場合、「実現」「達成」なんて言葉の方が多いのではないかな。
本業がらみの人が「バリバリ働くのと、無理なくそこそこで働くのと女性はどちらが幸せか」という話題をしていたのだが、そもそも「バリバリ働くのと、無理なくそこそこで働くのと男性はどちらが幸せか」といった議論が出ないこと自体、おかしいではないか、と指摘してやった。そうしたらその人は「幸せとは男性は考えてはいけないものです」と返答した。
本来「幸せ」という言葉は、性別など関係なく、全ての人間が求めるものではないかと考えていたのだが、「男の子は水色、女の子はピンク」なんていうように、女性だけの単語になっているように思える。
(私のとらえ方がひねているというのなら、検索エンジンで「女性 幸せ」「男性 幸せ」の検索結果を比較してみれば良いだろう)
そして、伝記の本に載っている人物で、この「幸せ」という言葉が似つかわしい人は男女関係なく少ない。
では、そうでない人間は、どうしていったのかといえば、不遇の環境に負けず、自分の人生と社会を切り開いていったのである。
つまり「幸せ」という価値観を持つには「今の境遇に満足できること」が大切なのであり、逆に現在の社会や自分の境遇に対して疑問を持って切り開いていく人生とは相反するものである。
もっとも「幸せ」を感じるということも能力の一つであると思う。ただ、私にとっては、これが人生の目的ということにはしたくないものだと思う。