るりこんの気が付いたらの日記

あるアマチュア声楽家の忘備録とつぶやき

L先生本番終了

2015-06-30 08:48:00 | 声楽(レッスン)
2部構成だったL先生の発表会が終了した。
トータルで歌ったのは、

◆1部
Ⅰ.オープニング:
①ヴェルディ「椿姫」:乾杯の歌(合唱)
②成田為三「浜辺の歌」2番目の「昔の人ぞ」
Ⅱ.ソロの部:
③モーツァルト「フィガロの結婚」:「あの楽しい日々はどこへ(Dove sono)」(伯爵夫人)
④プッチーニ「ボエーム」:「おお、愛らしい乙女(O soave fanciulla)」(ミミ)
⑤ワーグナー「タンホイザー」:「この高貴な殿堂よ(Dich, tuere Halle)」(エリザベート)
クロージング:
⑥青い山脈(合唱)
⑦少年時代(合唱)
⑧翼を下さい(合唱)

◆2部
⑨ヴェルディ「ドン・カルロ」:「世のむなしさを知る神よ(Tu che le vanita)」(エリザベッタ)

合唱含めると、1日で全部で9曲歌うことに。色々な面で合唱の負担が大きい私のオペラ団体並みのボリュームだな。

それぞれの感想と反省
①華やかなオープニングとして、悪くない。一度覚えると色々なところで使えるらしい。有名な曲だが合唱だからって、手抜きすると大変なことになる。アルフレッドが、ヴィオレッタ以外の女性と乾杯ばかりしているところが気になってしまった。
②1フレーズごとに代わる代わるソロを歌った。初心者の頃、本番で歌ったことがあったので、困らなかった。
③レチタティーボの当りは上手くいったのだが、後半のテンションがあがる所で、大ミスを犯してしまった。ピアニストさん、ごめんなさい。
④1部中間では、「ボエーム」の二重唱。これはストーリーに合わせて、ドレスやタキシードではなくて、貧しそうな服装をしましょう、ということにした。ロドルフォ氏は、薄くなった頭を隠すためにベレー帽を着用。「室内なのに、帽子?」と突っ込んだが「芸術家だからいいの!」ということだった。これも別の方と本番をやったことがあったが、今回は相手役がすごく照れていて、演技がやりずらかった。
⑤中間部分のテンションが下がる部分で、直前になって「えっと、どんな歌詞だったけ?」と動揺した。なんとか解決
⑥サビのところはなんか聞いたことがあるような・・・って曲だが、ジェネレーションギャップってやつだよね。昔懐かしい感じ。
⑦これは私が中学生の頃流行った曲かな。一度、老人ホーム慰問で歌ったことがあるが、懐かしい。
⑧小学生の頃、合唱で歌ったことがある。やっぱり懐かしいです。
⑨これも前に本番でやったことがある。音域ごとに響きが変わってしまいやすいのが、大変だったという印象だが、少しは改善したものかな。

最近、どうも暗譜が苦手になってきたような感じがする。いつも暗譜しないで大アリアを歌っているご婦人がいるのだが、先生は「最近、認知症が始まってきたみたいなのよね」と仰っていた。もしかして私もそうだったり?と不安になった。

1部終了時は、「すごく大きな声ですね」と声をかけてもらったが、まぁ「声が大きいだけ」というのは何とかしたいよなぁ。
2部は、前半はL先生の知人のピアノ教室の生徒が中心で、お子様のピアノを聞いていた。でも、前半が終わった段階で、「終わりの言葉」が入り「これで発表会を終わります」という生徒の挨拶が入った!何で、「前半のピアノの部を終了します。引き続き後半の歌の部をお楽しみ下さい」という言葉がないんだよ!おかげで、2部の歌の部には、生徒以外のお客さんがいない状況になってしまった。




ギリギリでダメな年齢制限

2015-06-28 20:46:00 | 声楽(レッスン)
昨年から、自分にとっての歌う意義を見直そうと意識するようになった。
それはそれで良いのだが、この年齢になると、あと1歳若ければ、間に合ったのに・・・というオーディションやコンクールが実に多い。

もちろん、年齢不問のものも存在しないわけではないが、かなり先になると好意的に見られることもあるらしい。
そのうち「幾つになっても好きなことを勉強されていて偉いですね」と色々な所で言われるようになるはずだと思う。

褒めているのだろうと思うけど、あ~、こんなのイヤだ。
歌の上手さそのものではなくて、好きなことを勉強していることを褒められるのは屈辱だ。


逆に、自分が中高生の頃は、「こんなに綺麗な声が良く出るんだから、才能あるわよ」と褒められていたこともあったよな。本当に将来は海外にも通用するプリマになりたいとか思って、単純に喜んだりしていたっけ。
でも、地元にも、もっと上手い同世代の人がいることを知って、すご~く落胆した。
その人は、音大大学院まで進学した後、イタリアに留学したが、結局、地元に戻った。
その詳しい経緯については知らないが「地元を代表する声楽家」と名乗れるのだから、あながち間違った戦略でもないと思う。

いずれにせよ、世間の目は子供と年寄に甘い。
褒められて素直に喜ぶと、現実とのギャップに苦しむことになる。

今はそんなものが無縁な風当りの強い世代なのだが、その厳しさがむしろ有り難いものなのかもしれない。


L先生発表会直前

2015-06-26 23:41:00 | 声楽(レッスン)
もうすぐL先生の発表会である。
数日前、近隣のスタジオにて、リハーサルを行い、昨日は最後の個人レッスンであった。
発表会は、オープニングで全員による「乾杯の歌」と「浜辺の歌」を歌ったら、トップバッターは私。
L先生の教室は、生徒の平均年齢がものすごく高い。
私の数十年後の想像をしてしまうのである。

それなりの資産なり年金なりがあるのだろうが(これは私にはありえないか)、「歌を歌うことは恥ずかしいこと」という環境で、「女だから特技を付けてはいけない」という家族の価値観で、あと数年かもしれない命。
もう、「最後にこれだけは歌いたい!」なんて思いがあっても可笑しくはないだろう。
先生だって、そんな状況なら「辞めなさい」なんて言えないだろう。

それにしても、すごい大アリアばかり。
L先生は「アナタを筆頭に大曲ばかり歌う人達ばかりなのよ~」と言っていたので、「これが終わって落ち着いたら基礎固めをやらせてくれ」と答えた。
私がそんなに大曲を歌いがっているように見えるのかね。
私自身「まだ遅くはない」という年齢ではなくなってきているが、あと何年かもしれないご婦人たちならともかく、難しい曲を下手に歌うより、簡単な曲を上手に歌えるようになりたい。


自費出版の話

2015-06-24 00:20:00 | 声楽(レッスン)
仕事上、関わりのある大先生から、「自費出版の本を共同執筆で出さないか」と言う話があった。

企画そのものが微妙な感じがするし、そもそも執筆というものは、ベストセラーを出せないのなら、印税も執筆に要した作業時間を考えれば微々たるものである。
まして「自費出版」ということは、自分でまとまった部数を買い取らなくてはならず、大体自分の知人などに声をかけて売るか配っていることが多い。

まずは忙しいことと金銭的負担を理由に断ろうとしたが、それでも「納期は延びてもいいから」とか言って結構相手も粘ってくる。
1つの著作物に対して執筆者が多ければ、1人あたりの自費出版の費用負担は軽くなるからね。

なぜ労力がかかるのに、お金にならないことをしようとするのかといえば、著作物のタイトルで名刺などに載ってあるプロフィールを立派にするために使う、ということであった。
実力がついて行っているのであれば、自費出版なんかする必要があるだろうか?
仕事を取るためのプロフィールなのに、本末転倒ではないだろうか。

笑ってしまったのは、自費出版の買い取りに要する負担が、自分のオペラのチケットの買い取りの負担と金額が同じくらいなことである。
一応、「本職に対してはプロ、声楽はアマチュア」というケジメは必要だとは思うから、本職のプロフィールはお金が貰えたものから書いて行きたいものだ。



音楽とPDCA

2015-06-22 10:58:00 | つぶやき
私の職業ではよく「PDCA」をいう言葉を使うことが多い。これはPlan(計画) Do(実行) Check(確認) Action(行動・改善)という言葉の略であるが、要するに、いつまでにどのようなやり方で何をするか、ということを明確にした上で実行し、その成果を確認しさらにやり方を改善をしていくという行動の繰り返しなのである。

ダイエットをするのに、毎日の体重と食べたもの、運動した内容などを手帳につけると効果的であるが、何かを学ぶ上でもそれは大事なことではないかと思う。

音楽教室でいえば、レッスンノートを取り入れている所が多いけど、その手法の一つではないかな。
市販のもあるけど、どうも子供っぽいデザインが多いのが残念な感じ。
それと、生徒自身が振り返るというより、親、生徒、教師の連絡帳的なものであったりもする。
大人向けのデザインはどうみても、指導者向けだったり・・・・
子供の場合、将来への責任は大人と違うだろうし、お金を出すのは生徒ではなくて、親だからね。生徒が楽しかったと思っても、親は上達できないと納得しないということもあるだろう。
音楽教室へ通うのは、大人、特に団塊の世代より上が増えているのに、こちらに関しては、長期的にお金を払って楽しい思いをしてくれれば、良いというのが認識なのだろう。

満足できるものが存在しないことを怒っても、仕方がないので、自分でExcelで作ってみるのもアリかも。

いずれにせよ、はっきり目に見える目標を作れないと、私はヤル気になれません。
難曲がこなせる、というのともまた違うような気もします。

レッスンを受けているわりに上手くなった感じがしない、というのは、課題を明確にし、それをどのようにして克服するのか、そしてやってみてどれだけ効果が出たのか、出ないのならそのやり方が間違っていたのかというようなことを繰り返して考えなくてはいけない。