るりこんの気が付いたらの日記

あるアマチュア声楽家の忘備録とつぶやき

新曲ムゼッタ

2013-06-30 08:48:00 | 声楽(レッスン)
20分枠のコンサートが終わった後、「身の丈に合った曲」というものを考えるようになった。
でも、L先生の場合、「じゃんじゃん、大曲にチャレンジしてドカンと歌いなさいよ!」いうスタンスなので・・・プロを目指している生徒に対して同じこと言うとはとても思えないのだが。
やっぱり「アマなんだから、後悔しないように好きな曲歌わえておけばいい」という考え方なのかな?
「好きな曲歌わせてくれない」という理由でレッスンを途中で辞めてしまう生徒も中にはいるのだろうけど。
何もこの考え方が、誤っているとも言えない。好きな曲のためだったら、練習も怠らないからね。
でも、どこか違うと思う。本当に示して欲しいのは「この曲を歌うには、今のあなたにとってはこういう技術を身に付けることが必要なんです。今のあなたにとって身の丈に合っている曲はこの曲ですが、今後、こういう曲を歌うことによって、あなたの歌いたい曲に必要な技術を身につけましょう」ということのように思う。

さて、昨日はF先生のレッスンだった。コンコーネ25の9番は、母音はOKなので、次は階名で用意してきて、ということになった。
アリアは自分では「絶対にありえない」と思っていたムゼッタのワルツ「私が街を歩くと(Quando me'n vo)」を一通り通して歌った。こういうコケティッシュキャラって、声質でも自分のキャラでも、程遠い過ぎて・・・
短い曲なんだけど、結構大変・・・;個人的な好みでは、よくいる日本人の声の軽いソプラノのように細く弱く入って、逆に引きつけようとするような歌い方が好みなのだけど、まぁ、私には程遠い技術・・・

でもその後に「私の名はミミ」の後半を歌うと結構楽なんだな、というのは新しい発見だった。


20分枠コンサート終了

2013-06-25 00:09:00 | 声楽(レッスン)
昨日は、20分枠のコンサートだった。
曲は、シューベルトの「音楽に寄す(An die Musik)」「のばら(Heideroslein)」、ブラームスの「永遠の愛(Von ewiger Liebe)」「君の青い瞳(Dein blaues Auge)」、ヴェルディの「ドン・カルロ」の「世の虚しさを知るあなた(Tu che le vanita)」だった。
今回は、音楽高校でピアノを専攻する女の子が2コマとったので、演奏者は2人だけだった。
そのうち、自分も2コマできるようになりたい、とか思ったりするけど、ちゃんと人を呼べないと、主宰者に迷惑をかけるような気がする。
自分の夫以外はその女の子の身内のようなのだが、シューベルト以外はやっぱりワケがわかりずらく難しい曲にしてしまったかな、と考えたりもする。
小さいホールでは、バロックとか日本歌曲の方が向いているのかなぁ、と思うんだが。

やっぱりヴェルディのアリアは、1年近くかけたけど、なかなか精度がよくならない。
確かに、背伸びしすぎな曲だというのは十分承知なのだが、「では、何をやれば?」といえば、ヴェルディやワーグナーのドラマティックな大曲ばかり勧められてしまうのだった。



日本語フィガロ本番終了

2013-06-17 00:08:00 | オペラ(出演)
昨日は日本語版フィガロの結婚の本番だった。
それにしても、フィガロの結婚って、1日だけでこの展開って、ずいぶん慌ただしい話なんだな。
椅子しかないシンプルな舞台なのに、観に来てくれた夫は「華やかで面白かった」と言っていた。
活動量計の消費カロリーはすばらしい結果になるから、スポーツクラブで単調なことするより絶対に楽しいし、続くと思うよ。
来週の日曜日は、20分枠の一般募集コンサートがあるから、随分頻繁だな。

今日は、F先生のレッスンで、コンコーネ25の8番はあがりで次は9番、「ボエーム」の「私の名はミミ(Mi chiamano Mimi)」を歌ったが、「ボエームは制覇しましょう」と言って、ミミと同時並行して、ムゼッタのワルツも見てくるようにと言われた。自他共にムゼッタはぜったいありえない、と思っていたんだが・・・

L先生の場合は、元々レジェロ系なので、私みたいな声質に対しては「どうせなら、ドカンってやつやりなさいよ」と言い重そうな大曲を薦めることが多いのだが、F先生の場合はもっと軽い曲を薦める傾向にあるようだった。