暴風が吹き荒れ始める中、
スコールの合間をみてコチラも見てきました。
「南極観測船ふじ」です。
突風の橋を渡るのが必死で、外観写真がありませんが、模型をどうぞ。
「ふじ」は1965年から南極観測船として活躍し、
18年のお勤めを終えて、
名古屋港に1985年から永久係留されています。
乗るとすぐに食堂です。
食事係の方が作っていました。
人形です(笑)。
テーブルは皿が落ちないように、
四隅のストッパーが出るようになっていました。
調理室には、もやし生育機や、パン焼き機、
いろいろな工夫がされていて興味深いです。
船室はこんな感じです。
がっちりロックのドアです。
理容室もあります。
歯医者さんとか、医務室という
本格的な医療が出来るお部屋もありました。
手術台に寝かされた人のお腹をお医者さんが
診療している(人形)状態で一瞬びっくりします(笑)。
娯楽室とかもありました。
こちらは隊員のお部屋。
それ以外の乗組員のベッドが多数。
揺れてもいいよう、チェーンでぶらさがっています。
観測隊員居室。
机の上に気になる人形。
この時代、みんなご家庭にあったと思われる
身体が瓶の懐かしのお人形です。(衣装は毛糸)
だれか身内の方の手作りなのでしょうか~。
観測隊員のお部屋には防寒具が干してあります。
それぞれいろいろな役割があって、色々なお部屋があります。
ロッカーにこんなブロマイドが。
誰なのか、まったくわからなかったのですが、
誰かの奥様ではなさそうでした(笑)。
他に、経理のお部屋やもろもろあって
一つの舟の中に
ありとあらゆるものが凝縮されていて、おもしろかったです。
そしてみんなお部屋に「トップ」などの
大きい洗濯粉がおいてあるのが印象的でした。
みんな自分で洗っているのね。
2回は展示室になっています。
南極での観測模様を再現してあります。
日本初の砕氷船で、
厚さ80cmの氷を連続して割って進むことができたそうで、
その仕組みです。
なんと、舟の先端部分が持ち上がって、
舟の重みで割って進んでいたのです。
なるほど~。
ペンギンしらべてま~す。
揺れが凄い時はこんな食事だったそうです。
これも国初の雪上車。
デッキにはヘリコプターも止まっています。
しかし、突風がすごくて私はデッキに出るのは断念。
この上に操舵室があったのですが、そこまでたどりつけませんでした。
そうこうして帰ろうと思ったら、
暴風雨が吹きさらしていて、外に出られなくなっていました。
しばらく食堂で待機してみましたが、
さきほどの一時的な降りではなくなり、悪くなる一方だったので、
意を決して、みんなで駐車場までダッシュしました。
娘はベビーカーつきの雨具があったので、それでガード。
こんな時、折りたたみの傘をさそうとする母親を叱責。
一瞬にしてぶっ壊れるのが目に見えています。
危険だし、一瞬で壊れる=ゴミになってしまうのですよ。
さす意味がわかりません。
何個か屋根のある建物を経て、無事に車まで到着しました。
そしてここからは、名古屋~静岡の車移動でしたが、
台風の暴風雨とともに移動していて、本当に大変な移動でした。
運転のお父さん、お疲れさまです。
夜には着いたのですが、遅い新幹線移動は
娘の負担のため明日後の朝に出発する事にしました。
静岡は、いままで聞いた事のない
「土砂崩れ警報」が出て、
山の方の人に避難勧告がでていました。
大地震からの頻繁な地震でかなり地盤が緩んでいたみたいです。
静岡からの東名高速は通行止めになっていたので、
新幹線も止まると困る(午後には納品作品がありました。)ってんで、
西から来ている台風を先取り、朝一で帰京しました。
すると東京は何事もない感じで、拍子抜けです。
翌日帰宅し、無事に作品を納品して、事なきを得ました。
この日は娘も保育室をお休みしたので、
家族水いらずですごしたのでした。
娘の熱もすぐにひいて、充実の連休がすごせたのでした。