シオドア・スタージョン、『海を失った男』

 編者あとがきによれば、“ベストアルバムを作る”ように編まれた一冊。『一角獣・多角獣』にも収められている「ビアンカの手」と「シジジイじゃない」は再読になりました。 

 『海を失った男』、シオドア・スタージョンを読みました。
 

 収められているのは、「音楽」「ビアンカの手」「成熟」「シジジイじゃない」「三の法則」「そして私のおそれはつのる」「墓読み」「海を失った男」、の8篇です。
 再読だった二作品がまず良かったです。初読は去年の9月だったけれど、奇天烈な作品ばかりたて続けに読んでぐでんぐでんになっていたかもしれません。今回の方が読みやすくて、すんなりという感じで楽しめました。
 特に「シジジイじゃない」は、まず“シジジイ”というテーマ自体がちょっと分かりにくいですが(単為生殖のための理想像?)、主人公のレオが出会う女性グロリアが、みずから思い描いた理想像そのままの男から、自分の思い通りにはならない“何をするかわからない”男に心を移してしまうという設定に、そりゃそうでしょーと思わず笑い、レオの悲劇に改めて戦慄しました。

 他に好きだったのは、「成熟」や「三の法則」。 
 「三の法則」は冒頭がとてもSFらしいのに、突然ごくありがちな男女の話になってしまうのでやや戸惑いました。文明探査のために地球にやってきた“三つ一組からなる三組のエネルギー生命体”の話はどうなったのか?と、首を捻りながら読んでいくと…。 
 この作品、“三つ一組の生命体”という設定がこれまた凄い。彼らから見ると地球人は、「いったいどうして何でも二人一組になっていないと駄目なのかしら?」ということになるらしいです。うーむ、そう言われてもな…。もしかしたら、スタージョン自身の疑問なのか…? ありがちな男女の話とSFな部分が最後に合致して、一風変わったハッピーエンドでした。

 あと「墓読み」は、ぴりっとタイトな作品ですがすこぶる興味深い内容でした。私好みかな。“墓読み”というのは、墓碑銘を読むことではなく文字通りに“墓を読む”ということです。それも、“一巻の伝記のように”。言語化されていないものを“読む”という発想。謎を残して妻に先立たれた男が、“墓の読みかたを学ぶ苦労”とは一体…。
 「そして私のおそれはつのる」は、一番長い作品です。章の扉のタイトルを見て、怖い!と一瞬思ったのですが、ミス・フィービーが本当に怖かった…!
 あ、そして表題作ですが、文章全体に迫ってくるような異様な迫力が満ち満ちていたので、それに圧倒されながら読んだけれど、実はなかなか読みにくかったです。イメージしながらついていくのが大変~な作品でした。
 



 チョキチョキチョキ…。 

 歩いて1515分ほどの和菓子屋さんで、桜餅を買ってみました。
 季節にそったお菓子は、なるたけいただこうという心がけ。

 朝ご飯のデザートにしてみたり。デザートには重いか…。  てか、この組合せはどうなの? カップの中は緑茶です。
 素敵な香りとほどよい甘みでした。 
 実は桜餅には関西風と関東風があるということを、最近になって知りました。子供の頃から、桜餅と言ったらこれ!でしたので。

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