エステルハージ・ペーテル、『ハーン=ハーン伯爵夫人のまなざし』 再読

 再読。先日読んだ『ドナウ川』に対抗した反マグリスの本だったことを知り、読み返したくなった。
 『ハーン=ハーン伯爵夫人のまなざし — ドナウを下って — 』の感想を少しばかり。

 “異なる民族どうし、殺しあうばかりでなく、豊かにしあうことだってできる、それを証明する唯一の存在がこの男だった。この豊かさこそがダニロ・キシュその人だった。この世で最も美しい喉ぼとけの持ち主、真のフランス風喉ぼとけ。” 270頁

 とてもよかった。やはり好きだなぁ…と。
 秘密めいた遠縁のおじと一緒に、ドナウ川を最後まで旅することになった少年の物語を交えながら、主人公“プロの旅人”の、おじロベルトの足取りと謎を追う旅が描かれる。かつての少年“プロの旅人”は、ドナウに沿って往年の旅をたどり直し、誰とも知れぬ“依頼人(雇い主)”への報告書を綴るが…。
 反マグリスの本であるというのは、つまるところ、“東欧のことは東欧の人間にしかわからない”という思いにあるようだ。オーストリア・ハンガリー帝国の歴史や伝統への言及の多さ、ヨーロッパの分裂について、クンデラ氏の憂愁…などなど、少しく苦々しげな声が聴こえてきそうな気がしたのは、その所為かも知れない。ちなみにその『ドナウ川』のクラウディオ・マグリスは、後ろの方でちょっと出てくる(でも、何か変よ…)。

 おじロベルトの秘密の周辺をめぐる話ももちろん面白いが、私が気に入っているのは、突拍子もなく時空間を飛躍してしまう蘊蓄やエピソードの数々で、とりわけウルムでのヒトラーやエヴァ・ブラウン、ゲッペルスのやり取り(と、ロンメルの悲劇)には、今回も笑ってしまった。他にも、メスキルヒまで来たついでに(!)神がハイデッガーに話しかける件、獅子心王リチャードの変梃りんな恋の一夜、ヒンデミットの書簡、イギリス人がニューヨークで発表した「共産主義の廃墟におけるドナウ産魚類の産卵」なるエッセイのこと、ウイハージ風チキンスープのレシピ…と、好きな箇所だけ挙げても切りがない。よくぞこんなに自由に盛りこみましたね…てなもんである(で、そこが好き)。
 そうそう、しばしば挿入される“依頼人(雇い主)”と“プロの旅人”の頓珍漢な応酬も、可笑しくてよかった。“〈電報〉貴様はポストモダンだ! 〈返電〉くそくらえ。”(59頁)。
 ブダペストを描く「見えない都市」では、カルヴィーノの小説からの引用がふんだんに散りばめられ、細かい章題の付け方まで踏まえている。“お心ひろくあらせられるフビライさま”が、“お心ひろくあらせられる依頼人(雇い主)様”になるという按配で、とても面白く読める章だった。

 終盤、ダニロ・キシュへのオマージュが差し挟まれている。初読時は未読の作家だったので、もう1度読むことが出来て本当によかった。温かで真っ直ぐな敬慕の念が伝わってきて、思わず胸の熱くなる素晴らしい件だった。喉ぼとけを確かめたいものだ。
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