檀ふみさん、『父の縁側、私の書斎』

 檀ふみさんと言えば印象深いのは、NHK「連想ゲーム」での雄姿(?)です。ばっさばっさと男性チームに切り込んで、点数を稼いでおられたような記憶もあります。子供心に、聡明ってこんな人をいうのかしら…などと、思っていたかもしれません。と、前振りはこの辺で。
 『父の縁側、私の書斎』、檀ふみを読みました。

 随所にて父親の思い出を振り返る記述は、とても読み甲斐があります。でもそれだけではなく、家そのものへの思い、そこにまつわる悲喜こもごもを、軽妙な気を逸らさない文章でたっぷり読ませてくれます。テンポの良いコミカルさもありつつ、過ぎし日々を愛おしげに懐かしむ箇所では何だかじんわり…。  
 かくいう私は、家を持つということに関心がありません。昔から両親の価値観にことごとく反発してきた娘なので。それに、終の棲家を持ってしまったが最後、ずっとその土地に縛り付けられるのかと思うと、どうしても怖さが先にたちます。怖い怖い…。
 そんな私が少しだけ、この強張りを緩めてみたくなりました。家ってやっぱり、いいものかも知らん。

 思い出すのは、子供時代を過ごした昔の実家です。いわば人生における最初の全世界。光に満ちて温かい思い出といえば、縁側と濡れ縁で過ごした時間です。日当たり良好、日向ぼっこのスペース。昭和懐かしの縁側と濡れ縁は、このエッセイ集にも出てくるので胸がきゅんとしました。
 濡れ縁があるのは当時でもすでに珍しかったのですが、家の外でもなく内でもなく、お天気の良い日に遊びに来た友達と過ごすのにも、格好の場所でした。そこで、おやつと冷たい麦茶をいただくと、じかにコップを置いた場所に、小さな水溜りが出来るのでした。その水が、かさかさに乾いた木の肌に沁み込んでいく、じじ…と言うあの音さえも、まだ耳の底にならば残っているような気がします。背後の応接間には造り付けの本棚があって…。
 といった具合で、1度蓋を開けたらとめどなく溢れてきそうです。汲めども尽きせぬ、家にまつわる思い出よ。
 家っていいものかも知らん…。新たな視点を投げかけてくれた、一冊でした。
 (2006.11.16)

コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
音。 (きし)
2006-11-16 22:19:25
>その水が、カサカサに乾いた木の肌に沁み込んでいく、じじ・・・と言う、あの音
ああ、わかります、その音。でも、自分が読んでいるときは思い出しませんでした。
りなっこさんが読んで書いてくださったおかげですね。
 
 
 
あっ (きし)
2006-11-16 22:20:32
言い忘れてました。リンク、ありがとうございました。
 
 
 
Unknown (show)
2006-11-17 12:07:57
縁側は分かるけど「濡れ縁」ってなんじゃらホイ?と思って検索してみたら、「あ、僕の実家にあったのは縁側じゃなくて濡れ縁だったのか!」と新たな発見がありました。

「天井まで届く本棚」は僕も憧れてるんですよね。
 
 
 
あの音。 (りなっこ)
2006-11-17 20:30:14
聞くことも叶わぬ音になって、随分久しいです。
そもそも身辺から、本当に木で出来ているものが、どんなにか少なくなってしまったことでしょう。
普段はそんなこと、改めて考えてみたこともなかったですけれど。

こちらこそ、きしさんのおかげで、そんなことまで思い出せましたよ~。

 
 
 
>showさん (りなっこ)
2006-11-17 20:52:20
えっ! そうなんですか!?
結構ビックリしたのですが、私も調べてみましたら、濡れ縁も広い範囲で言えば、縁側でいいようですねぇ。 ふむ。

今じゃ縁側と言えばもっぱら、魚の“えんがわ”で・・・。 

「天井まで届く本棚」、もちろん梯子つきですよね。 固定してあると、なお有り難いです。
 
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