『須賀敦子全集 第1巻』

 物語のような芳しさ。余韻が響き続けている。
 『須賀敦子全集 第1巻』を読みました。

 “若い日に思い描いたコルシア・デイ・セルヴィ書店を徐々に失うことによって、私たちはすこしずつ、孤独が、かつて私たちを恐れさせたような荒野でないことを知ったように思う。” 374頁
 
 須賀さんのエッセイについて思うことは、すでに以前の記事で書き尽くした気がしますが。
 記憶というものに、思い入れがある。何となれば、人はあらゆる記憶を、その指の隙間から零していくように薄れさせ失い、生きていくものだから。忘れゆくことが、生きていくために天性与えられた心の機能に他ならないから。 
 忘れることが自然だ。何もかも抱え込んだままでは、人は歩んでいくことの出来ない心やわい生き物だ。過去にこしらえた心の傷、胸を押しつぶした出来事、その胸を切り裂いて永遠に血を流し続けるかと思われた別れの痛みさえ…。いつか、時の流れが癒してくれる。時間だけがそれらを風化させ、忘れさせ、歩みを滞らせまいとしてくれる。真綿のように優しく慈愛に満ちた、忘却という名の妙薬で。
 でも。いえ、だからこそ。
 今こうしている間にも刻一刻と色褪せ、背を向けて遠ざかろうとする眩しい瞬間。愛おしい笑顔の残像、胸を締め付ける甘く切ない思い出たちに向かって、何度でも呼びかけずにはいられない。そこにとどまれ…と。

 忘れないということは、忘れまいと思い続けることだ。色褪せゆく記憶へ向かって、何度でもその名を呼んでみることだ。忘却の慈愛を知りつつも、諦めきれずに。
 今この時も、未来の思い出の中にある。何一つ、とどめておけるものがない。呼び覚ましたい記憶たちは、写真や記録の中には決して残せない。光と埃の匂いの中、特別ではない日の飾りない言葉たちの中、二度と咲かない去年の桜の中…そんな場所にだけ、静かに眠っているだろう。

 遥かなときをたどりながら、失われた時間を呼び戻す須賀さんの声が、遠い場所から聞こえてくるような気がした。そうして須賀さんに呼び戻されて、しばし息を吹き込まれた人たちの命が、温かな愛情をまとって作品の其処此処に宿っている。そのことの尊さに思いを馳せることよ…。思い出という名の幻が、永遠の命を与えられ、幾とせも経て届いた私の胸で、こんなにも確かに響き渡る。
 (2006.11.28)

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コメント
 
 
 
りなっこさま (きし)
2006-11-28 21:28:56
何も言えないくらいなのですが、そう思ったということだけでもお伝えしたいと思いました。
 
 
 
ん? (りなっこ)
2006-11-29 18:32:35
え、え~っと、ありがとうございます・・・。
私、ちゃんと何かが伝えられたのでしょうかね?
 
 
 
あのですね (きし)
2006-11-30 00:23:44
こういうふうに書けるってすごいなぁと。
だったら、最初からそう言えばいいのに、私も。ちょっと動揺してましたかね…。大変失礼しました。
 
 
 
え、 (りなっこ)
2006-11-30 21:01:02
凄い? ・・・ですかね?
実は、割と普段から思っていることを、機会を得て書いてみただけなのですよ。
でも、須賀さんの著作を読んだ直後で、テンションは上がっていたかも・・・。
 
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