久世光彦、『一九三四年冬 ― 乱歩』 再読

 新しい文庫本で再読。『一九三四年冬 ― 乱歩』の感想を少しばかり。

 “危うい足元が緊張になり、前のめりの不安が恐怖になる。こんな快感を思い出したのは、いったい何年ぶりだろう。江戸川乱歩は、いかにも探偵小説家らしく、ひとり不気味に北叟笑んだ。” 73頁

 とてもよかった。やはり好きだなぁ…と。色っぽくて滑稽で品があって、もちろん蘊蓄はたんもりで。面白楽しくて、でもじんわりと哀切がにじむ。それに何より、不惑にして執筆に行き詰った乱歩にそそぐ眼差しの優しさと、そんな乱歩に幻の名作を書きあげさせた愛が、物語全体を包み込んでいる。
 おどろおどろの話は平気で書くのに、実は怖がりな乱歩。くよくよと禿を気にする乱歩…。己の老いに直面させる冒頭も、その後の展開に効いてくる。時折ぐっと、胸に迫った。久方ぶりの久世さん、心ゆくまで堪能した。

 連載を中断させた挙句に行方不明…の乱歩は、実は自宅からさほど遠くない帳ホテルに身を潜ませていた。鞄に入れてきた昔のメモ帳には、遊び半分で書き付けた題名がびっしりと書かれている。あれこれと思いめぐらし頁をめくると、一つの題名が目に留まった…。
 帳ホテルにて、乱歩の無聊を慰めてくれることになるのが、妖しさと人懐っこさを兼ねそなえた美青年の爺華栄と、アメリカ人で探偵小説ファンのミセス・リーである。方や、そつなく気がきく中国人のボーイ、片や、マンドリンを爪弾く可憐な人妻。そんな嬉しい出会いもありつつ乱歩は、かつてない自由と孤独を味わう。そして、昔を彷彿させる奔馬の如き勢いで、筆を走らせる。やがて乱歩の物語と、作家の現実は、“仲良く手をつないで踊”りだす…。

 乱歩自身の作品が取り上げられるのは言うまでもないが、他にもエドガー・アラン・ポオやエラリー・クイーン、大谷崎、宇野浩二、物語の中では先年に死んでしまった「可哀相な姉」の渡辺温…などなど、言及される作家や作品が多いのも、楽しくて興味深い読みどころとなっている。また、乱歩の夜の夢もふんだんに描き込まれている中に、谷崎が出てきたり…なんて、心憎くて堪らない。それこそ北叟笑む作者を、思い浮かべてしまったことよ。

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