カルロス・フエンテス、『澄みわたる大地』

 『澄みわたる大地』の感想を少しばかり。

 “この国には人間なんていないし、あるのは空気や血や太陽、名もなき群衆、骨や石や恨みで歪んだ大衆だけだ。人間のいないこの国でそんな議論が一体何の役に立つんだい?」
 「それならこの国はサタンにでもとりつかれているのだろう……」サマコナは答えた。” 
397頁

 素晴らしい読み応えだった。祈りも呪いも渾然となった、雑多数多の声が覆い重なっていくその先に、“澄みわたる大地”メキシコが立ち現れてくる。その様に、ただただ圧倒された。ぶつかり響き合う声の渦の中へ、捕り込まれたような心地すらして、最後には茫然となる。そんな都市小説だった。
 革命後の急速な発展を経て、機を掴みのし上がった人々の欺瞞が充満し、新しい社会階級が交錯する首都メキシコ・シティ。その街に深く根を生やし、最早誰にも手の付けられない社会の矛盾。そしてそれ故にこそ、一人一人の胸には押し殺された底知れない哀しみが、虚しく凝っている。だが、一人の聴き手を得た時、彼らは吐き出し始める。憤りの言葉、開き直りの言葉、諦めの言葉、不運をかこつ言葉、過去への決別の言葉を…。

 イスカ・シエンフエゴスと名乗る男の独白から始まるこの物語は、50年代のメキシコ・シティを中心に繰り広げられる。付け焼刃な上流ぶりをひけらかすブルジョアたちから、落ちぶれた貴族の名門一家へ、そして搾取されるがままの貧しい民衆へ…と、様々な人々を網羅していくような勢いで、どんどん視点が切り替えられていく。そして更にそこへ、主要人物たちの過去へと遡る章や断片が幾度も挿入されてくる為、時間の流れも行きつ戻りつしながら折り重なっていく。

 例えば、小作人の息子として生まれ育ったフェデリコ・ロブレスは、革命中も巧く立ち回り、今は実業家としておさまっている。貧しかった昔のことを訊ねられると、“別人も同然”だとあっさり言い放つ。一方その妻のノルマ・ララゴイティは、好きでもない男の富に惹かれて結婚した。彼女は男の欲望に自分を合わせていくことで、仮面の下にあるはずの本当の顔を失ってしまった。それから、ノルマの元恋人ロドリゴ・ボラ。彼は後に、思いがけない成功を手に入れる。そんな彼らの人生には、ある時期を境に取り返しのつかない断絶が起きている。
 のし上がる前の自分と、今の自分。このかけ離れた両者が、どうにも繋がらない。だから彼らは、どんなに境遇や地位が変わっても俺は俺だ…という確固とした実感を得ることが、出来なくなっていく。かつての自分と今の自分があまりにも違い過ぎて、そのどちらをも本当の自分の姿とは思えなくなっていく。そうやって己を見失ったまま、立ち止まることも叶わない。その、空っぽな孤独の声…。

 終盤へ向け、新たに明らかにされることがあって意外な繋がりがわかったり、息を呑むような展開があったりで、最後まで気を逸らさせないところもとてもよかった。
 それにしても、イスカ・シエンフエゴスはいったい何者だったのだろう。“単なる傍観者”だと、本人は言っていたけれど…。そして、古い古いメキシコの埋もれゆく記憶を体現するような存在、老婆テオドゥラの火事の場面は、おぞましいが圧巻だった。

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3月24日(土)のつぶやき

07:32 from web
おはよございます。こーしー2杯目にゃう。ぐび。
07:53 from web
自分が大好きな本を、今読んでいる人や読み終えたばかりの人を見かけると、いいなぁ…と思ってしまう。たった今あの場所にいることが、羨ましくなっちゃう。
07:58 from web
でも、その人がその本を気に入ったのかどうかとか、まだわからないのにねぇ…。
08:55 from web (Re: @yamakaze
@yamakaze ああー、それもわかります!この人いつ読むのかなーって、気になりますよね。頼まれてもいないのに背中を押したくなったり、あるある(笑)。や、どんどん話しかけてくださいませ~(あ、私からも話しかけますっ^^)

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