ウラジーミル・ナボコフ、『ディフェンス』

 『ディフェンス』の感想を少しばかり。

 素晴らしかった。とても、とても切ない話だ。
 物語は、主人公の少年が“月曜日からルージンと呼ばれることになる”と父親(年長のルージン)から知らされ、ひどく驚いている場面から始まる。いきなり冒頭から呼ばれ方が変わってしまった、両親に対しても他人行儀なこの少年は、その上学校嫌いでもあり、大人しく無気力な様子に周りの大人は手をこまねいている。ところがある日、避けられない出会いがやってくる…チェスである。
 そうして少年ルージンの、チェスとの蜜月期間が始まる。チェスへの愛が彼にとって命取りになるのは、遠い遠いずっと先の未来のことだ。チェス盤の上を動かされていく駒の一手一手、川のように支流に分かれてはまた本流に戻るその変化を、奏でられるメロディーを聴きとるようにして「読む」…そんな才能を開花させたルージンは、やがてチェスの天才少年の為に敷かれた道をたどりだす。

 稀有な才能に恵まれ天才と称えられながら、まるでその過剰の埋め合わせの如くにルージンの中で欠落している何か。他人と共存することを学びつつ、ごく普通のありふれた幸せを摑んでいく…という術を知らず、恐らくそんな発想すら持てない、あまりにも特異な魂の色、形。だから大人になってからもルージンは、いじらしさと偏屈とが一緒くたになった奇妙な子供みたいなチェスの天才だ。なんと厄介なことだろう。
 そんなルージンの人生に、一人の娘が現れる。“傷つけられている生き物”を見捨てることなど到底出来ない彼女は、ルージンに寄り添い理解しようと努める。この女性の造形がとても面白かった。もしかしたらルージンに限らず、とびぬけた天才の妻ってこういう心優しい人にしかなれないのではないだろうか…とか、ふと思った。
 
 己の人生さえもチェスになぞらえた上でしか見通せなくなっていったことも、ルージンにしてみれば致し方のないことだった。他の捉え方を知らない、そんな風にしか守れない。そのルージンの寄る辺なさこそが、愛おしい。だが結局、人生はチェスではない。
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8月3日(水)のつぶやき

11:10 from 音楽メーター
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