5月18日

 お昼ごはん。四つ葉cafe にて、タコライスプレート。夫はパスタプレート。
 お野菜たんもりで美味でした。お腹いぱい…
 
  
 

   

 

 

 菫野短歌のネップリ、しました。20日までですって。
 

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5月17日

 空木春宵『感傷ファンタスマゴリィ』を読んだ。
 
 とてもよかった。
 まず耽美で残酷かつ甘苦い毒滴る作風が好みで堪らないのだが、人の嗜虐性や暴力、どす黒い憎悪(例えば人々を“魔女狩り”へと駆り立てるものの正体)をきっちりと描く筆致にも痺れる。

 表題作では “幽霊とは思考の産物” という件からの、己が己であることの確かさがぐらぐら揺るがされ、自己確立の脆さを突き付けられる展開が頗る響いた。
 「4W」はシスターフッドの物語としても読めるしそこが好きでもあり、「ウィッチクラフト≠マレフィキウム」で見据えているものは性別に関係なく誰もが考え続けるべきことなのだろう…とも思う。


 “だが、少女であったことならある。どうしようもない生き辛さを抱え、間違った世界に生まれてきてしまったと感じる、よるべない孤独な少女であったことは。” 「さよならも言えない」

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5月14日

 金井美恵子『ピース・オブ・ケーキとトゥワイス・トールド・テールズ』を再読した。
 
 素晴らしかった。遠い日々の記憶が弛んで寄り集まり、褪色したモザイク模様になる。茫洋とした時間の流れから掬い上げられる、鮮やかなイメージと繰り返すその語り直しに、ふと眩暈する読み心地だった。
 とりわけ、何度も出てくる “まゆみの生垣” をめぐらし曲がりくねった狭い道の描写は、時間を行き来してとめどない語り口そのものとも重なる。

 “それとも、いつかこの今の瞬間、今こうして見ている月と、この道と、風と、こうして今わたしの感じているすべての感覚を思い出すことがあるだろうか。”
 
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5月3日

 今日は2人でこーしーから。連れ本は『殴り合う貴族たち』。(夫は法律の勉強本)
 

 お昼ごめん。星乃スパゲッティー。星乃珈琲店はまだ3度目で、あれこれ食べてみたくてオーダーに悩む〜。
 
  
 

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5月2日

 お昼ごめん。春木屋 にて、鶏そば。少しずつ味変して、おいじかった。
 
  
 

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4月25日

 角田光代訳『源氏物語 5』を再読した(角田源氏は初めて)。
 
 「若菜」から「鈴虫」まで。「若菜」は流石の面白さで、容赦ない因果応報の巻。
 もうそんなことも起こるまい…と安心していた矢先、光源氏に信頼を裏切られた紫の上は、それまで考えてもみなかった将来への不安まで抱く(辛…)。
 女三の宮を迎えることを決めた光源氏が、以前と同じように紫の上が妬いてくれると思い込んでいる辺り、如何なものか。紫の上から見て、女三の宮は嫉妬するには身分が高過ぎるし、そもそういう気持ちが薄れて心が離れつつあることもわからないのか…など。
 女三の宮もただ気の毒で…。

 あとがきにもあったけれど、六条御息所の怨霊がここまで残っているのは何故…とあらためて(え、ファンがいたから?)
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4月23日

 金井美恵子『快適生活研究』を読んだ。
 
 目白連作の短篇集、面白くてつい読み耽ってしまう。未熟で鈍感な自己愛を持ち、慢性的な幸福症に陥った人たちの “憎々しいおかしさ” が、これでもかと絶妙な按配に描かれていて堪らない。
 とりわけ、長々しい手紙を書く癖(ヘキ)をお持ちのアキコの造形には引きこまれた。
 (“おちこぼれ系” のおばさんや桃子たちは相変わらず)

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4月16日

 金井美恵子『道化師の恋』を再々読。
 
 金井美恵子を読みだすと後を引く。
 主人公の善彦がナボコフの『青白い焔』を読んでいたので、私も読み返したくなってしまった。

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4月11日

 角田光代訳『源氏物語 4』を読んだ。
 源氏物語は他の訳者で幾度か読んだが、角田源氏は初めて。
 
 今のタイミングで「蛍」の物語論を読むと、「光る君へ」のまひろの声で響いてくるような気がする。
 そして「藤裏葉」の大団円。おそらくここまでで紫式部は一旦筆を置いたのではないか、という話を聞いた。いよいよ次巻で「若菜」。
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4月10日

 金井美恵子『彼女(たち)について私の知っている二、三の事柄』を再読した。
 
 ──“そこに夢見るものなんか、何もないけれど”。
 『小春日和(インディアン・サマー)』からほぼ10年後の、桃子、花子、小説家のおばさんたちを描いた姉妹作。
 少し本整理をしようとして目に留まり、懐かしさについ読み耽ってしまった。(フローベール『紋切型辞典』が出てくるとにやにやしてしまう)
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