楽しく会食や懇談している席で、いきなり他人行儀になったり、そよそしく振舞われたりすると「みずくさいやないかぁ」と言いたくなる事があります。
親しい者同士の間柄であれば、あまりいい気分はしないのではないでしょうか。
でも、「水臭い」が何故「よそよそしい」とか「他人行儀」の意味となったのでしょうか?
そこで、今日は「みずくさい」について調べました。
「みずくさい」の元々の意味は、「味が薄い、水っぽい」ことで、鎌倉時代の仏教説話集である『沙石集(しゃせきしゅう)』に「日来(ひごろ)はちと水くさき酒にてこそ候ひしに」との表現が見られ、所謂、「水っぽい酒」と言う意味で記されているのだそうです。
それが、現在のように「よそよそしい」とか「他人行儀」などの意味で使われ出したのは江戸時代以降で、
一説には、料理で水分が多いと味が薄く、味気なくなりますが、このことを比喩的に、愛情が薄い、人情が薄いと、人に対して使ったのが由来とする説や、
他の説としては、飲んべえ同士は酒杯をやりとりします。その時、盃洗(はいせん:酒席で杯を洗いすすぐ器)で杯を洗ってから相手に差し出すのが礼儀なのですが、盃洗で洗った杯で酒を飲むと、酒に微妙に水の味が残り、「水臭い酒」になります。
このことから他人行儀なことを「水くさい」というようになったという説もあるようです。
なお、遠慮のない間柄だと、盃洗の水を通さずに杯が行ったり来たりするようになりますが、この様子を「水入らず」と言うようです。
江戸時代末期に刊行された江戸語と大坂ことばを対照させた『浪花聞書(なにわききがき)』には、「みずくさい塩あまき事をもいふ。江戸でいふ水っぽいなり」との記載があるそうですが、現在でも、関西など西日本の一部では、塩気が足りずに味が薄い事を「この味噌汁みずくさい」などと言うそうです。