私が購読している某紙の昨日の社会面には、大きく分けて3つの記事が載っていました。
一つは、熊本地震関連の記事で、エコノミークラス症候群などの関連死に関するもの。
二つ目は、囲碁界で初の七冠独占を果たした井山裕太棋聖に関する記事。
そして3つ目は、燃費試験データを改ざんした三菱自動車が、2000年に発覚した大規模なリコール隠しに続いてまたも信用を裏切った事に関する記事です。
他にも雑多な記事が社会面を賑わせていましたが、昔は、このような記事を「三面記事」と言っていました。
でも、何故、社会面に載るような記事を「三面記事」と言うのでしょうか?
調べてみました。
「三面記事の謂れ」
明治初期の頃は「大新聞」と「小新聞」という区別がありました。
この呼び方は紙面の大きさの違いによるものですが、記事の内容や読者の層も異なっていたそうです。
「大新聞」は知識人や旧士族が対象で、政治議論が主に編集されていましたが、
「小新聞」は大衆向けで、かわら版や洒落本の流れに属する読み物が中心でした。
明治20年代に入ると「独立新聞」と呼ばれる「大新聞」と「小新聞」の両方の性質を持つ新聞が創刊されたそうです。
その独立新聞の一つである「万朝報(よろずちょうほう)」が、四面(4ページ)ある内の三面(3ページ目)に著名人のスキャンダルなど社会の雑多な記事を掲載したことから、社会面の記事は「三面記事」と呼ばれるようになったそうです。
その後、他の新聞も同じような構成で編集するようになり、「社会面の記事=三面記事」で定着したと言うことです。
つまり、「社会面=三面記事」は、この時代のページ構成からきている言葉だったのです。
余談ですが、三面、四面の担当記者は軟派記者といわれ、一面、二面担当記者の硬派記者からは、蔑まれていたそうです。