らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

大阪と大坂

2016-04-15 | 地元紹介

大河ドラマ「真田丸」はいよいよ大坂編に入り、10日に放送されたサブタイトルも「大坂」でした。
ドラマをご覧の皆さまの中に、「おや!大阪の漢字が違うのではないか?」と思われた方はいませんか。
大坂編の「坂」もサブタイトル「大坂」の「坂」も土偏(つちへん)となっています。
しかし、現在の大阪市や大阪城などに使われている「阪」は阜偏(こざとへん)の「阪」になっているのです。
なぜ、土偏(つちへん)と阜偏(こざとへん)に区別して使用しているのでしょうか?
そこで調べてみました。

調べてみると、大坂の地名の由来は520年ほど前に遡ります。
明応5年(1496年)9月、蓮如上人が大坂石山の地(現在の大坂城の辺り)に、石山御坊(後の石山本願寺)を建立したのですが、この付近一帯は古くは難波(浪速=なにわ)、中世には小坂(おざか)と呼ばれていたのだそうです。
ところが蓮如上人は縁起をかついで「小坂」を「大坂(おざか)」に変えてから「大坂」の呼称となりました。

その「大坂」が現在のように「大阪」と書かれるようになったのは、明治3年のことです。

東京が首府と決められた明治維新後、大坂は衰退の一途をたどっていたのですが、これは大坂の「坂」が「土に反る(返る)」と読めることから、人々が忌み嫌ったのだそうです。
そこで、「盛ん・多い」という意味を持つ「阪」が使われるようになったということです。

当時は公文書にも「大阪」と「大坂」が混在し、かなり混乱していたようですが、明治10年になると、ようやくその混乱も収束し、公文書の印鑑なども「大阪」に統一されたのだそうです。

なお、この大阪の漢字の変更を模倣したのが三重県の松阪市で、『松阪の町の歴史』の解説には、「松坂」が「松阪」となったのは明治22年の町村制実施の時で、その範となったのは大阪であり、「大坂が大阪になったので、「松阪」に決定したと、『松阪開府400年史』に記されていると言うことです。