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らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

堺市内散策(その3)仁徳天皇陵古墳

2014-01-29 | 地元紹介

堺市内散策の3回目は「仁徳天皇陵古墳」をご紹介します。

仁徳天皇陵古墳はエジプト・クフ王のピラミッド、中国・秦の始皇帝陵と並ぶ世界3大墳墓の一つといわれ、上から見ると円と四角を合体させた前方後円墳という日本独自の形で、5世紀中ごろに約20年をかけて築造されたと推定されています。

前方部を南に向けた墳丘は全長約486m、後円部径約249m、高さ約35.8m、前方部幅約307m、高さ約33.9mの規模で3段に築成されています
左右のくびれ部に造出しがあり、三重の濠がめぐっています。
日本最大の前方後円墳にふさわしく、周囲に陪塚と考えられる古墳が10基以上ありますが、塚廻古墳を除いて、主体部の構造や副葬品のわかっている古墳はほとんどないということです。
この仁徳天皇陵は、日本書紀などに伝えられる仁徳・履中の在位順とは逆に、履中天皇陵古墳よりも後で築造されているそうです。

・仁徳天皇陵古墳です(パンフレットより)


仁徳天皇陵古墳は日本最大の前方後円墳で北側の反正天皇陵古墳、南側の履中天皇陵古墳とともに百舌鳥耳原三陵と呼ばれ、現在はその中陵・仁徳天皇陵として宮内庁が管理しています。

・宮内庁管理の「仁徳天皇・百舌鳥耳原中陵」看板です。


・仁徳天皇陵参拝所です。


「仁徳天皇陵・陪冡(ばいちょう)の復原模型」
この仁徳陵を当時の技術で建設するためには1日当たりピーク時で2000人、延べ680万7000人を動員して、15年8ヶ月の工事期間を要すると試算されています。
巨大な墳丘と3重の濠の存在はまさしく大王墓に相応しく、また濠の外側に築かれた陪冡(ばいちょう)(陪塚)と呼ばれる中小の古墳には、各種の墳形があり、古墳時代を象徴していると言われています。

・仁徳天皇陵の250分の1の復原模型です。 孫太夫山古墳を始めとする周りの小さな古墳は陪冡(ばいちょう)(陪塚)で、副葬品などを葬る墓だそうです。


・仁徳天皇陵の周囲に10基以上あると言われている陪冡(ばいちょう)(陪塚)の一つ、銅亀山古墳です。