玉の輿
「玉の輿」。いい響きですね。
女性の方はこの言葉に魅力を感じるのではないですか?男性にも「逆玉」なんて言葉もありますが・・・。
今日は「玉の輿」の語源について調べました。
玉の輿の「玉」は、美しいものの総称で、古くは宝石も意味したそうです。
そして、玉の輿の「輿」は、貴人を乗せて人を運ぶ乗り物です。
そこから、貴人の乗る美しい立派な輿を「玉の輿」と言うようになり、身分の低い女性が高い身分の人と結婚し、立身出世することを「玉の輿に乗る」と言うようになりました。
ここまでは皆さんご存知だと思いますが、さて、その語源を調べてみましたが、俗説しか載っていませんでした。
俗説「お玉説」
玉の輿の「玉」とは、京都の西陣の身分の低い八百屋の娘として産まれたお玉のことで、三代将軍徳川家光の側室となり、豪華な輿に乗って大奥に入ったことから、桂昌院の名「お玉」に由来すると言うものです。
お玉は3代将軍家光の側妾お万の方の侍女となるため江戸へ下りました。
18歳の時、家光の寵愛を受けて側室に加えられ、お玉の方と呼ばれるようになり、20歳の時に徳松(後の五代将軍綱吉)を出産しました。
1661年(慶安4年)4月20日、26歳の時、家光の死に際し、落飾して(尼となって)桂昌院と称するようになり、綱吉と共に江戸藩邸に住むことになりました。
1680年(延宝8年)8月、桂昌院54歳の時、綱吉が5代将軍に就任すると、江戸城中三之丸に居を移しました。
そのことから三之丸様と呼ばれ、大奥での力は絶大となり、1702年(元緑15年)3月、76歳の時、従一位という最高の位階に叙せられ、春日局の従二位を超えており、女性としては最高位に登りつめました。
1706年(宝永2年)6月22日に79歳で亡くなりましたが、八百屋の娘「お玉」が将軍の側室となってそこまで登りつめたことから、このことが玉の輿の語源だとするものです。