らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

堺市内散策(その1)方違神社

2014-01-27 | 地元紹介

現役時代の趣味の会である「歴史探訪同好会」のメンバー13名と昨日堺市内を散策してきました。
今回はJR堺市駅から南海高野線中百舌鳥駅までの約11㎞、「1600年のロマン百舌鳥古墳群を歩く」というコースです。
今日から数回に分けてご紹介します。

今回歩いたコース図です。
地図の線路記号上部のJR堺市駅から赤い線に沿って中央の仁徳天皇陵へ下り(地図上で)、更にその下側の大仙公園からニサンザイ古墳を通り、終点の中百舌鳥駅(右下)までを歩いたものです。


「方違神社鳥居」
ここに書かれている説明によれば、方違(ほうちがい)神社の起源は古く、崇神(すじん)天皇の勅願により創建されたと伝えられています。
この辺りは摂津、河内、和泉の三国の境に位置しているため「三国山(みくにやま)」「三国のちまた」または「三国ケ丘」と称されました。
三国の境界にあるため方角のない聖地であると考えられ、古来より方災除けの神として参拝者が絶えず、更に、平安時代には熊野詣の通過地点でもあったため、人々は旅の安全を祈ったと言われています。
また、明治元年の京都から東京へ遷都の際には17日間の祈祷が行われたそうです。

・方違(ほうちがい)神社の鳥居です。


「方違(ほうちがい)神社本殿」
社伝によると、人皇10代崇神天皇5年、国内に疫病が流行し多くの民が死亡した。
これを憂いた天皇は、同8年12月(紀元前90年)勅願により物部大母呂隅足尼(もののべのおおもろすみのすくね)を茅渟の石津原(当地)に遣わせ、須佐之男神を祀らせ給うた。
すると疫病は途絶え五穀は豊穣となったといい、これが方違神社創祀の起源とされています。



方違(ほうちがい)神社は方角に関する災いを防ぐ「どの方角にも属さない神社」です。
古くは、遠方へ出かける際、その方向が良くないときは、一度別方向に向かってから出かける風習「方違え(かたたがえ)」がありました。
方角の厄を取り除き、神様のご加護を受けられるとして親しまれてきたのが「どの方角にも属さない」方違神社(ほうちがいじんじゃ)だそうです。

この神社は摂津・河内・和泉の3国の国境である三国丘(みくにがおか)に位置したことから、東西南北すべての方位を消滅させる場所とされ、ここに参拝すれば三国の土を踏む、つまり方違えを行ったことと同じ意味を持っていたのだそうです。

・鳥居の脇にきれいに剪定されている「神功皇后御馬繋之松旧蹟」です。



・鳥居の脇に鎮座する神明社です。