完璧
世の中には完璧主義者と言われる方がいます。
完璧主義とは、定められた時間、限られた時間の内にて完璧な状態を目指す考え方や、精神状態のことで、このような思想を持った者や、そのような心理状態の者を完璧主義者もしくは完全主義者と呼んでいます。
しかし、その程度(時間に対する気配りや周囲への迷惑を顧みない状態等)によっては、精神疾患のひとつとされることも多いそうです。(ウィキペディアより)
この完璧という言葉の「璧」とは、環形に磨き上げた上質の玉器のことだそうで、傷のない完全な「璧」という意味から、何ひとつ欠点がなく優れてよいこと、完全無欠のことをいいますが、その由来は、中国の戦国時代に、「和氏(かし)の璧」を貸さなかった秦の昭王と藺相如(りんしょうじょ)が命がけで戦い、ついに璧を持ち帰ったという故事に基づくそうです。
その由来となった故事とは次のようなものです。
趙(ちょう)の国の恵文王(けいぶんおう)は、「和氏の璧(かしのへき)」という宝の玉を持っていました。
秦の国の昭王(しょうおう)は、その璧(へき)をなんとかして手に入れたいと思っていました。
ある日、昭王は趙に使者を送り、「和氏の璧」と「15の都市」とを交換するよう申し入れました。
しかし、恵文王はその申し入れを信用することはできませんでした。
そこで、恵文王は重臣を集めて使者として派遣することを相談をしたところ、藺相如(りんしょうじょ)という者が
「使者として秦に行くのにふさわしい者は私のほかにはいないでしょう。私を使者として派遣してください。
申し入れどおりに15の都市が手にはいれば「璧」を置いてきますが、都市が手に入らないときには無傷のまま「璧」を持ち帰って来ます。」
と言いました。
藺相如は「璧」を持って秦へ向かいました。
そして国王に「璧」を差し出すと昭王は大変喜びました。
しかし、「15の都市と交換する」という約束のことは全く知らん顔であったことから、藺相如は「その璧には小さな傷があります。それを王様にお教えいたします。」と言って「璧」を取り返し、部屋の後ろの柱のところまで下がって言いました。
「恵文王は、あなたに敬意を表して、私に璧を持たせ使者として使わせたのです。しかし、あなたは璧を手にしても15の都市と交換するという約束を果たす意思がないものと見受けられます。それゆえに、璧を取り返しました。
もし、このことをお許しにならないのであれば、私は自分の頭とともにこの璧を柱に打ち付けて砕いてしまいます。」と。
それを聞いた昭王は、驚いて、「約束は守る。」と言いました。
しかし、藺相如は、昭王はもはや信用することはできないと確信し、家臣に璧を持たせ趙に帰らせました。
璧は完全なまま恵文王のところに戻りました。
冒頭にも書きましたが、完璧主義と言えば理想的なように思えますが、その度が過ぎると精神疾患のひとつとされることも多いということなので、敢えてそれを追求しない方がよいのかも知れませんね。