一昨日の日曜日、私が勤めてい会社のOB会の”歴史探訪同好会”のメンバーと熊野古道(中辺路ルート)を歩いてきました。
今回は、5月に歩いた時の続きを歩くため、前回の終着地、JR紀勢線の紀伊田辺駅に集合し、中辺路ルートを「稲葉根王子」までの約15㎞を歩くものです。
その時の模様を、今日から数回に分けて「熊野古道を歩く」シリーズとしてご紹介します。
・集合場所のJR紀勢線「紀伊田辺駅です。
「秋津(あきづ)王子」跡
「秋津王子」は紀伊田辺駅から約3㎞の距離にあります。
この王子名が初めて登場するのは藤原定家の熊野御幸記です。
この王子は会津川沿いにあったようですが、会津川の度々の氾濫で流されて元の場所が消滅、、再建される際にその場所が転々と移動したことから、現在はその場所は確定しておらず、右会津川と左会津川の合流点付近に秋津王子跡の碑があるだけです。
伝えられている王子跡の地点としては柳原、落合、安井宮などの名がありますが、それらもどの地点ということまではっきりと分かっている訳ではないようです。
「秋津王子安井宮跡」
説明書きによれば、秋津王子の創祀時期は不明であるが、藤原定家の『後鳥羽院熊野御幸記』建仁元年(1201年)10月13日条に「前夜田辺に宿泊、早朝出立してまず秋津王子に参る」とある。しかし、藤原宗忠の『中右記』天仁2年(1109年)10月の熊野詣での記事には見えないので、この間に祀られたものと考えられています。
・伝えられている王子跡の地点の一つ「安井宮跡」です。
コンクリートで舗装されている熊野古道です。
当日は35度を超える暑さの中を7名の参加者たちは元気に歩きました。
「須佐神社」
秋津王子から約2㎞の距離に須佐神社が鎮座しています。
須佐神社(すさじんじゃ)という名前の神社は日本各地にありますが、いずれも須佐之男命(すさのうのみこと)を祀る神社で、社名は祭神名によるものである。
田辺市に鎮座するこの須佐神社もその内の一つです。
ご由緒によれば、
『神代の昔、須佐之男命(スサノウノミコト)が曾志毛里(新羅国)より帰り着いたところで、岩舟山なる地名あり。神武天皇が即位された時に祭祀されたと言う万呂三ケ村の鎮守旧社名は牛頭天王社、豊臣秀吉の紀州平定の際、当社だけ焼き打ちを免れたと言う。』
とありました。
「社殿」
須佐神社の社殿で、御祭神は須佐之男命、配祀は稲田比売命です。