他者の不幸や苦痛などに同情した時や、他人に迷惑をかけて申し訳なく思う場合に使う言葉に「気の毒」があります。
今年は東日本大震災や台風12号、15号による被災地の皆さんに対して、日本人の殆どの人が「お気の毒」と言う言葉を使われたのではないでしょうか?
そこで今日はこの「気の毒」の語源について調べました。
「気の毒」
「気の毒」とは、“自分の心に毒となること”が元々の意味です。
広辞苑では「心の毒になることの意」として、「自分の心が苦痛や困惑を感じること」、「腹立たしい」、「困った」、「決まり悪く恥ずかしい」と説明しています。
室町時代末期の頃は、そうした使い方が一般的だったそうで、例えば、「財布を忘れて気の毒だった」と言ったとすれば、それは“自分が決まり悪い思いをした”という意味だそうです。
それがやがて、まるで自分の事のように心を痛めてしまう他人の苦痛や不幸を指しても「気の毒」というようになりました。
江戸時代後期になると、自分の気持ちとは関係なく、相手は今きっと「気の毒」なのだろうと察して相手を思いやる使い方、いわゆる「同情」という意味に変化してきました。
「気の薬」
この「気の毒」には「気の薬」と言う反対語があります。
「気の薬」は「心の保養になること」「おもしろいこと」を指す言葉で、「気の毒」の「毒」に対して「薬」の字を使用して作られた反対語です。
「気障(きざ)」
この「気の毒」と同じように、元々は自分の気持ちを指して言っていたものが他者へ向けた言葉となったものに「気障(きざ)」があります。
この言葉は「気障(きざわ)り」の略語で、元々は「(自分の)気にかかること、心配なこと」を指す言葉だったようです。
「気障(きざ)」という言葉は江戸の遊郭で生まれ、江戸時代後期に一般に流行しました。
特に遊郭では、色男ぶったり、気取ったり、嫉妬深い人の行動や言動が気に障ったようで、そうした人を「気障(きざ)」というようになり、そこから「服装や態度、言動が気取っていて不快なさま」という意味に広がりました。
現在よく使われている「キザな奴」と言う「キザ」の言葉は「気障(きざわ)り」から発展して生まれた言葉だったようですね。