らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

石焼き芋の起源とサツマイモの収穫

2011-10-12 | 家庭菜園

石焼イモが美味しい季節となりましたね。
最近ではスーパーでも石焼イモを売っている店があり、傍を通ると美味しそうな香りが漂ってきます。
今日は、石焼き芋の起源とサツマイモの収穫についてご紹介します。

石焼き芋の起源」
日本への石焼き芋の伝来は16世紀末に中国から沖縄へと伝わり、それが九州・四国・本州へと広まっていったようです。
1719年に来日した朝鮮通信使の人の日記で、京都の日岡で焼き芋売りの露天商があったと書かれています。
その時は蒸し芋だったのですが、明治時代になる鉄の平釜で焼くようになり、これが石焼き芋の始まりと言われています。
今のように引き売りするようになったのは昭和のはじめのようです。

さて、今年の我が家のサツマイモ栽培は「鳴門金時」と「紅あずま」の2品種を20本ずつ植え付けましたが、新しく開墾した畝だったので草が次々と伸びてきて草取りに追われました。

・下の画像に見られるように芋づるが草の中に隠れるくらいに草が伸びています。


・イモ掘りはイモの蔓を鎌で切り取ることから始めます。そしてマルチをめくり、株元をスコップで掘り起こします。


・これが掘り起こした「鳴門金時」です。今年は多くて1株に3~5個、少ない株では1個しか付いていませんでした。
 なお、一つのことに関連して多くのことが現れるさまを「芋づる式」と言いますが、これがその謂れの基になった芋づるです。


・これが今年収穫した「鳴門金時」です。


・こちらは「紅あずま」で、昨年と比べて収量が少ないように思います。


(参考)
サツマイモの語源はご存知のように薩摩に伝来したことからついた名前ですが、伝来ルートによって「唐イモ」とか「琉球イモ」などと称されています。
日本には、16世紀末にルソン(フィリピン)経由で中国福建省に伝わり、1597年に宮古島、1607年に琉球に伝わり、そして1614年頃薩摩に伝わったと言われています。
関東にまで広まったのは、青木昆陽が1735年に『蕃薯考(ばんしょこう)』を著し、救荒作物として普及に努めたことによります。