シンポ


 北大の今回のシンポは「国際シンポジウム ICTによる外国語教育と自律学習 ― 二つのコストと学習支援」というものでした。
 
 ICTってInformation & Communication Technology ってことでいいんでしたね?
 「自律学習」の方については台北で大木先生がお話されたのを以前お伝えしましたが、今回はこのコンセプトの生みの親のHenri Holecさんを迎えて、かなり充実したシンポになりました。
 来ていた人の数はそんなに多くなくても、皆さんだいたい「第二外国語」におけるこのテーマに関わりの深い方々で、雰囲気もたいへん好感のもてるものでした(いちばんどうでもいい参加者がわたしみたいだったね。 f(^_^;) )。

 お弁当も美味しかったな。 (^_^)y


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北海道大学


 国際シンポジウムで北海道大学行ってきました。上は西門です。

 雪が積もっていて、足を取られそうでひやひやでした。

 でも構内の雪景色は美しかったですね。

 考えてみると金沢大は、周りは山で森になってますけど、構内自体にはあんまり木が生えてないんですね。

 ちょっとうらやましい・・・
 
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英語(圏)の音楽とそれ以外


このエントリーの続き)

 名古屋大で開催されたポピュラー音楽学会では、ワークショップ「ポピュラー音楽における『アフロ(アフリカ)性』を再考する」も聞いてきました。
 上は、あんまり関係ないけど (^_^;) 名古屋駅前の高層ビルです。

 倉田量介、長野太郎、鈴木裕之、高橋政資の各氏によるシンポジウム(司会は伏木香織氏)という趣のもので、これは有意義でした。
 ほんとは全部お伝えしたいところですが、それは大変な仕事になっちゃうのでひとつだけ。

 高橋さん(アオラ・コーポレーション)さんのお話の途中で、なんかCDショップの人たちは、ロック、ジャズ等々として素晴らしい音を出しているアーチストでも、たとえばスペイン語で歌っていたら「ワールドの棚」に送ってしまう、という話が出ていたと思います。
 結果として、ロックやジャズや既成のジャンルの音楽はほぼ米英産の音楽で独占されてしまうということになります。これが現状です。

 わたしの感じでは、ロックを中核とする現在のポップ音楽は、発祥の地アメリカ、イギリスではもう煮つまってしまって、あんまりおもしろい音、もうそんなに作れてない気がするんですね。

 わたしからみると、ツェッペリン見捨てた頃(調べてみると1973年ころということになりますね。わたしがツェッペリンに熱狂していたのはわずか3,4年ですか。そんなに短い間とは気づきませんでした。ふうん・・・)以後、急速に米英ロックには見るべきものがなくなっていった、という感じです。
 その後も米英ロックに革新的な動きはないことはなく、いいバンドは出てくるんですが、いずれも散発的な感じがします。

 だから、今米英だけで売ろうと思う方が間違ってると思うんですけどね。

 それでも業界人はなぜ米英、英語の世界に固執するのか?

 ここでもいろいろ考えてますけど・・・

 前のエントリー書きながらウェブ上でレッド・ツェッペリンについて調べてたら、ほんと詳しい人はめちゃくちゃ詳しいこと書いてますね。感心します。
 その多くの人は、たぶん英語情報で書いておられるのかな、と思います。
 そのあたりから、こんなことを思いました。

 英語あるいは英語圏の歌以外が嫌がられるというのは、たぶん英語情報の世界に精通していることを自負している人が、なるたけ自負を感じ続けたい、そのために自負のできない外の世界にあまり関わりたくない、って気持ちが原因じゃないかと思います。実も蓋もない言い方ですけど、自分がそこで自負を感じることのできない世界については意義をできるだけ小さく見積もりたい、ときにはゼロとみなしたい、ということかなと思うのです。

 ずいぶんひどいこと言うなあ、と思われるかもしれないですけど、当たってるところあると思いますよ・・・

[追記] ところでフランス語圏の子供たちの間で凄い人気のティトゥーフ Titeufシリーズを描いているスイスの漫画家ゼップ Zep は、ペンネームをレッド・ツェッペリンの略した呼び方からとったんですよね。みんな Zep 大好きだったんですね・・・ (^_^)

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レッド・ツェッペリン

 沢尻エリカさんの分身ERIKAさんが、恋人さんと一緒で例のレッド・ツェッペリン一夜のみの復活公演というのに行かれたそうですね。
 (このブログでは沢尻さんは「日本初のアルジェリア系アイドル」として扱ってますのでよろしく。 (^_^) )

 ウィキペディアの沢尻エリカの項によると、歌手のERIKAというのはいちおう別存在で、ERIKAがツェッペリンに影響受けたことになってるんですね。ややこしー。というか、こういうことしてどういう意味があるのか分からない。 (T_T;)

 わたしはもういまさらツェッペリンなんか見たいとも思いませんが、最初彼らの音楽を聞いたときは文字どおり圧倒されました。二年前のミュージカル・バトンでも彼らのWhole Lotta Loveトップであげましたが、音楽が持っている凄まじい力を初めて認識させてくれたのがこのバンドだったと思います(でも5枚目のアルバム聞いたあたりで「あ、こりゃもうだめ」と感じてあっさり見捨てました。このあたりわたしってほんとに冷たいのです・・・ f(^_^;)  でもたぶんライは見捨てないでしょう。音楽以外のところでも、とくに大事にしたい「人のつながり」で繋がってますから)。

 それで、最初の日本公演のときは大阪のフェスティバルホール行きました。調べてみたら1971年のことですね。もう36年もたつんですか。
 たぶん観客としては最年少の部類だったと思います。(^_^)v

 その時の感想:プラントは適当に手抜いて歌ってるな(「喉は使い減りするものだ」ということにはもう少し成長してから思い至りました。このエントリー参照)。Black Dogの冒頭にOut on the Tiles のイントロ使うのはプラントが音程取れないせいか(つまりその、あの曲はプラントのヴォーカルソロで始まっているので、のどに負担かけないためにレコードより低い音程で歌うにしても他の楽器が合わせられるようにあらかじめ調が決めてある。けどプラントがその出だしの絶対音が正しく出せるかどうか不安だ、ということ)。JPジョーンズのベースラインはまるで聞こえないな(あとで『ニューミュージックマガジン』だったか『ミュージックライフ』だったかに、彼のアンプは、スピーカーのウーファーを後ろに向けて音をいったんクッションさせてから前に出すという不思議な方式だったと書いてありました。それじゃ細かいフレーズ聞こえるわけないわ)。
 ・・・というようなこと思ってましたが(あんまりいいこと覚えてないな)、連中、ウラではこんなバカなことやってたんですね、ハハハ。 (^o^) (^o^;)

 でもあのプラントとペイジがのちにワールドミュージックに関わって、わたしの今の関心範囲の後の方でちらちらしている、というのはなんだか面白く感じられます。 (^_^) なんとかいって彼らとわたし、ときどき軌跡が一致するんでしょう。

 とにかく砂漠のフェスティバルのDVDでプラントの歌う姿を再び見たときは、感無量でした。
 彼、ウーム・カルスームが好きだとかいって、アラビア語マスターしてますよね。それで弟に:
「プラント、アラビア語しゃべれんにゃないか。負けてられへんわ」
って言ったら:
「そんな、対抗意識燃やしてて、どないすんねな」
とあきれられました。 (^_^;)

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学校教育における音楽


 日本ポピュラー音楽学会が名古屋であったので行ってきました。

 上は名古屋駅のイリュミネーションです。

 いつも見てる方々にとってはどうってことないんでしょうが、旅行者にはほんとに美しく見えます。

 さてこの学会では金沢大の西島千尋さんのご発表を聞いてきました(念のため申し上げておきますが、彼女はわたしとは師弟関係はありません。彼女は三井徹先生のところに勉強しに来たのです)。

 彼女の研究テーマは日本の音楽教育に関するもので、わたしにとって大変刺激的なものなのです。非常にかっちり調べておられますので、信頼のできる研究だと思います。

 日本の音楽教育の一貫したドイツ古典音楽志向についてはいろんな要因があるのですが、日本の音楽教育のグランドデザインを構築した人たちがドイツ音楽に心酔していただけじゃなくて、ドイツ社会を理想視して、日本をドイツのようにしようとしたというのが大きいのかな、と思います(これはわたしがそう解釈したということであって、西島さんがそのように主張したということではありません。お間違えなきよう)。西洋クラシックでも日本民謡でもいい音楽はいい音楽だ、と一応は言っていた人もいたのですが、現実には学校教育では日本人のルーツである音楽の保護、育成のためにはあまり力を入れられたことはなかったということかと思います。

 そして結局いまの音楽教育体制は、学生たちがワールドミュージックに興味を持つため、ひいては世界の文化に興味を持つようにするためにも、あんまり適した形のものではないのですね。

 ここは人が思うより大きな問題を含んでいるとわたしは考えてます。

 でもまあそれはまた別の形で考えてみたいと思います。西島さんの説を受け売りする形になっちゃ悪いですし、なんか彼女に迷惑かかりそうですからね。 (^_^;)

 彼女の次の発表の加藤徹也さんの、高校の音楽鑑賞教育についての現場からのお話は、学会の News Letterにわたしが報告を書くことになったので、ちょっとブログに書くのは差し控えます。
 でも加藤さんのお話も、ほんと面白かったですよ。日本の高校生たちの心情がよく見えて。 (^_^)y

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たばこ


 学会発表の休憩の間に、ベルチエさん、○○潮さんとおしゃべりしてました。
 ベルチエさんからタバコをもらって、吸ってました(↑こんなの)。
 
 タバコは、むかしはよく吸ったものでしたが(修論書いてたときなんか、徹夜明けに下宿の部屋の窓を開けたら、タバコの煙がもわーっと外へ流れ出ていったもんでした。 (^_^;) )、今は人にもらって一、二本吸うくらいなものです。

 そういえばわたし、ラシード・タハからも一本せびったっけ。 (^_^;)

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rai info/ライ・ニュース 118

BEST OF KHALED

 ハレドのBest Of 入手しました。

 いわゆるひとつの、ベスト盤です。先にお伝えした通り未発表曲も入ってますけど。

 ・・・でも、だからってどうってことないです。 (T_T)

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Radioheadがミクシィに!

 きのう Mixi開いてみて、ちょっとびっくりしました。

 「Radioheadとマイミクシィになろう!」という宣伝が出てるんです。 (*o*)

 なるほど。考えてみれば、これほど当然のことはないです。CDという媒体からの脱却ということを考える人たちがミクシィみたいなSNSを利用するというのは。

 おそらくマニュ・チャオも似たようなことやってくるでしょう。彼はもうCDは出さないと宣言してるんだから必然性はレイディオヘッドより大ですし。

 もしわたしが彼らをマイミクに加えたとすると、わたしのトップページを訪れたひとは一番上にある「マイミクシィ最新日記」の中のRadioheadのニュースを否応なく目にすることになります。うーんこれも当たり前だ。(^_^;)

 なんか抽象的に考えていた話が一気に身近で具体的なものになった感じがします。

 さて、わたし的にはどう対応しようかな・・・

[追記] Musique Info Hebdo12月7日号によるとマニュ・チャオのLa Radiolinaは10月末時点で19万5千枚売れてます。こういうアーチストがもうCDは出さない、と言ってるわけですね。

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わが青春の関西日仏学館


 さて例の学会ですが、ディディエさんもベルチエさんもレイさんもほかの先生方も、紅葉の美しい京都に来られて御満悦のご様子でした。よろしおしたなあ。

 会場の関西日仏学館は、わたしがフランス語を学んだところです。おまけにアルバイトで受付やってたりもしてました(給料がフランだての支払いだったのが面白かったです)。でも中が大改装されて、昔の面影も薄くなりました。

 二階に図書室があったんですが、そこでずっと司書をされていたま○子さんが一階で働いておられるのを見てびっくり。彼女もわたしをみてびっくり。これは久しぶりの再会。一緒にここで働いていたのははるか昔のことですね・・・

 稲畑ホールも階段教室状になりまして、演壇は西側に移りました。
 そうろとドアをあけると京大・増田先生の、お顔を拝さなければフランス人が話しているとしか思えない見事なフランス語の御発表が聞こえてきました。

 ベルチエさんたちに挨拶したいから来ましたけど、最近はなんかまじめな仏文学者の方々を前にすると、どうも引いてしまう自分を感じてしまいます。 (;_;)
 もっともレイさん(この人ほんといろんなことやってはります)が今回は意外にもカミュの書いているアルジェリア・フランス語というネタのお話だったので、思わず熱心に聞き入ってしまいました。

 さてベルチエさんの話、お題は「『パルムの僧院』とアロエの開花」とかいう変てこなもので、スタンダールとアロエに何の関係があるのかしらんと思ってたら、『パルムの僧院』はアロエの開花のように100年に一遍しか起こらないような奇跡の産物ではない、という話なんですね。ベルチエさんは何の話だか聞いてみないと分からない、読んでみないと分からないっていう題つけるのが好きみたい。 (^_^;)
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ワールドおやじ2


 今年も都内某所でワールドおやじの忘年会です。

 私の今年の一枚は先日ご紹介したとおりティケン・ジャー・ファコリーの『アフリカン』 L'Africain です。日本盤には田中勝則さんの紙の表裏を使った詳細な解説つきで大変勉強になります。ただコートディヴォワールにはティケンの前にアルファ・ブロンディ Alpha Blondyというアフロ=レゲエの巨人がいることに全く触れられていないのは残念です。いろいろ差しさわりがあるのかもと拝察しますが・・・

 もうひとつ、El Sur 10周年記念ということでエル=スールで手に入れた逸品わたしの一曲というのもありましたが、これはわたしはKayshaのKinshasa B Boyでした。
もう7年以上前の曲ですが、トトントトントン、スットントンなんて間抜けになりそうなリズムをここまでかっこよくできるのは凡手じゃないと思いました。ケイシャはコンゴの外交官のぼんぼんで、プロデュースとかもやる有能な奴です。

 あと皆さんにいろいろ主にアフリカの音を聞かせていただきましたが、まだまだわたしはアフリカは勉強不足なのに曲名、アーチスト名、あんまり覚えられませんでした。もったいない。
f(^_^;)

 とにかくこの夜は、久しぶりに羽を伸ばしたせいか、なんか気分がうかれすぎ。 (^_^;)
 後でいろいろ反省するといういつものパターン。 (;_;)
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