フランス・イメージ

15. さて台北の研究発表のご報告、姫田麻利子さんが Hsin-Ping CHIさんとコンビでされた発表『台湾と日本の学生におけるフランスの表象 representations』に関するお話で最後にしておきます。
 このお二人はフランスの大学のフランス語教育博士課程で席を並べて勉強していたお友達だそうです。 (^_^)y

 発表はお二人が台湾と日本の大学の学生に行ったアンケート結果に基づいていました。その結果の控えが手元にありませんのでぼやけた話になってしまいますが m(_ _)m 両国とも学生たちのもっているフランスの表象、イメージは固定的で、台湾におけるフランス・イメージについてもそんなに意外な事実はありませんでした。ブランド品、モード、芸術等々がどちらの国においてもイメージの中核を占めているわけです。

 わたしはいつも思うのですが、やっぱりアジアはフランスから遠いんですね。ヨーロッパの人たち、アフリカの人たちなどは、フランスにもいろんな面があり、フランス人にもいろいろいることを肌で知ってますが、われわれは少ないフランス情報から勝手なイメージを作っても、それが偏っていると悟る機会がない場合が多いのです。
 だから「フランス」は、自国における自らの差異化 ––– 他の人とは違うわたし! ––– のネタに使われやすい素材なのだと思いますね。
 姫田さんはいみじくも、日本の学習者においてフランス語学習による社会的差異化、卓越化 distinction sociale をフランス人との現実的接触より重要視する傾向のことを指摘されてました。

 まあ、ことがブランド品とか芸術とかによる自己の差異化だけならまだ害がないとも言えるでしょう。
 それが政治に関わってくるときには気をつけないといけません。わたしは今日、日本の多くの人が気づいている以上に、否定的で誤解を含んだフランス・イメージの固定が日本の政治状況の中で利用されるケースが出てきているのかもしれないと危惧しています。フランスの言語が保守的だとか同化主義がどうだとかいう議論で、日本の世論をある方向に向けさせるわけですね・・・

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コメント
 
 
 
頷きっぱなしです。 (ま・ここっと)
2006-06-12 16:26:11
先生、こんにちは。

先生がおっしゃること、頷きっぱなしでした。文末の先生が心配されることも、私がなんとなく気付き始めていたことでした。

パリ症候群という病も、日本で紹介される雑誌とこちらの現実とのギャップに追いつかない人が発症してしまいがちなんでしょう。結局、フランスに来たのに、日本の雑誌を真似たままの服、化粧、行動を続けて自分から孤立に追い込んでいる人を私もたくさん見ました。彼らは最終的には日本人のみでコミュニティを作って、日本語の中に仏蘭西語の単語を混ぜながらの会話を楽しんで殻にこもってしまう傾向もあります。ああなってしまうと外国人が近寄れません。語学校だけでなく大学正規留学生でも「パリでなくては意味がない」と地方大学に良い先生がいるのにパリから動こうとしない日本人にも私は数名出会いました。本当の第一目的が「パリに住む日本人」ということなんだ、と理解はしましたが。

日本では芸術やモードがフランスのイメージとして先行していますが、フランス庶民にとってはスポーツ王国ですよね。幼児期からどんなスポーツにも気軽にトライできる環境が整っています。日本でまかり通るフランスイメージは共和国民の極一部のブルヂョワ環境とリンクしたものであるのは間違いない、というのも確信しつつあるこの頃です。

地元でセザンヌ展が開かれていますが、ターゲットは日本人とアメリカ人です。わかる気がします(笑。
 
 
 
Unknown (raidaisuki)
2006-06-13 09:33:27
ま・ここっとさま

コメントありがとうございます。 (^_^)y



たぶん、フランスというのは日本人にいちばん分かりにくい対象なのでしょう。そこをフランスも心得てビジネスをしているということかもしれませんね。



パリに最良の先生がいるわけでないのは当然ですが、パリの学者の人脈に入っていないと研究や就職の不利になる領域はある、というのを聞いたことがあります。

まあスタンダールだとグルノーブルという拠点がありますからね。お金さえ十分あるなら、老後はグルノーブルに定住してウィンタースポーツ三昧、ということも考えるんですけどね・・・ f(^_^;)

 
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