日本人はフランス語を誤解している!・・・と思うけどなあ・・・
フランス語系人のBO-YA-KI
ライとわたし
わたしはraidaisukiとなのってます。ライ大好きです。(^_^)y それは、このエントリーの下の方にも書いた通り、理屈抜きのところがあります。ツェッペリンとかロックとか、気に入らなくなったらたいていのものはあっさり捨てましたが、ライのやることだったら、基本的に何でも許しちゃいます。f(^_^;)
わたしがフランスに渡ったちょうどそのときに、わたしを待っていたかのようにライ人気が最高の盛り上がりを見せたのをみて、そこに運命的出会いを感じたということも理由のひとつでしょう。
突然へんなことを言いますが、愛とはそういうものじゃないでしょうか。 (@^_^@)
ひとが結婚するときなんか、理屈抜きの「この人との出会いはわたしの運命だった!」という思いが、決断を促するように思います。
確かにいまライは、以前ほど歴史や社会と直接の深い関わりを見せてはいません。
フォーデルやジダンのような移民二世世代の成功者たちの多くは実に言動が慎重ですが、そんなフォーデルでも例のサルコジ大統領との関係で批判を浴びて火だるまになっちゃいました。シェブ=マミのグロテスクな事件も、見方を変えればやはりある意味で世界の現状の縮図を示していると言えるのかもしれません。
でもたしかにライは、今アルジェリアでテロリストの直接の標的になる、というようなことはありません。それにライは、民衆の先頭に立って戦うというような勇ましいジャンルでは元からないのです。
勇ましくはないかもしれないけど、やっぱりわたしライ大好きです。
またこんなこともあります。
2005年の「暴動」のとき、ライ界は音無しでした。いちばん何か言いそうなラシード・タハにも目立った発言はなかった。このへん、たしかにわたしもがっかりしました。
ただタハの目から見れば、2005年フランス全国に波及した暴動は単に、まさに彼が音楽活動を開始した80年代リヨン郊外で行われていた非行(彼はあの有名な1983年の「ブール大行進」実現のため働いた、と言ってました)の規模が大きくなっただけのものであり、なにをいまさら、という感覚なのかもしれません。
彼が日本にやってきたのは2001年10月、あの9.11事件の直後だったのですが(あのときわたしはプレスインタビューの通訳をやらせていただきました)、「この事件で世界が変わった、などというのは単なる無知を暴露しているにすぎない。アルジェリア人は10年間、テロリストに叩き殺され続けていたのだ。アルジェリア人とアメリカ人で命の重さに違いがあるとでも言うのか」というようなことを言っていたのをよく覚えています。
欧米で耳目を集める事件を直接歌うわけではなくとも、アルジェリアの人々の心の底を流れる思いと直接つながっているなら、やっぱりライはたいしたものであるように思います。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
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ライは縁の下で人の心を支えている感じですよね。
そう、まさにそんな感じですね。 (^_^)y
私もそんなライが大好きです。(^_^)y
そうですよね。
ただ政治の中で翻弄されたジャンルではありますね。ハスニ暗殺が典型的な例で、そのあたりで外国ではライは勇ましいレベル・ミュージックというイメージになってしまったかと思います。
でまたライを売る側がそのイメージを利用するということもありました。