ら族の歳時記

「道が分かれていても人は幸せになる道を選ぶ能力がある。」
能力を信じ、心の安らぎの場を求めて、一歩一歩。

訃報

2016-11-20 23:42:56 | Weblog
この時期に届く喪中の知らせ。

最初の主治医の訃報が届いた。


2年ほど前、たまたま受けた検診で胃がんと診断され
手術のため開腹したところ、
腹膜に転移していて手術をしないで閉じたと
ブログに書いてあった。

延命治療はせずに、人間らしく生きたいという考えで
アクティブに活動されていた。

昨年の12月下旬には一人で車を運転して旅行にも
出かけていた。

末期がんとは思えない行動力だった。


ブログをほぼ毎日更新をしていたけれど、
1月のある日を境に更新がなくなった。


ブログには病状は一切触れていない。

日常のできごと、
文学や文化、哲学への想いを触れて、
時に自分の気持ちを短歌にして書いていた。

だから、病状はまったくわからない。


その後、コメント欄への書き込みから
亡くなったことが想像できた。



私には亡くなった連絡は入らなかった。

故人の遺志で、親族だけの旅立ちを希望だったのかもしれない。


その後も、訃報が届くことはなかった。



奥様はご主人の交友関係を知らなかったんだろうと
私は勝手に判断した。





そして、差出人は奥様で喪中のはがきが届いた。

先生の机の引き出しを整理していて
年賀状の束をみつけて、
その差出人あてに喪中はがきを送ったんだろう。


不思議なことに亡くなった日は、
最後のブログ更新日の前日。

予定投稿の設定をしていたのかもしれない。


最後の最後まで、人間らしく生きたようだ。




いろいろ考える。

今、お花を送った方がいいのではないか。

今、ご挨拶に、ご焼香に伺った方がいいのではないか。

と。。。



最後に会ったのは15年ぐらい前だと思う。



どうすればいいのかと迷う。


当時、先生に見てもらっていて生きているSLE患者は
私一人。

先生はいろいろな人を見送ってきた。

まだ、ステロイドしか治療薬がなく、
免疫抑制剤も1から2種類しかなくて、
治療法が確立していなかった時代。

たぶん、私も見送ることになるだろうと
先生は思っていたと思う。


それが、どっこい、透析しながらも生きている。

それもぶっちぎりで生きている。



身の回りでいろいろなことが起きてしまって、
本当に年賀状だけの付き合いになってしまった。

今になれば、もっと病気のこと、生きるということについて
話をきいておけばよかったと思った。



ご冥福をお祈りいたします。
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