退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「別種のひきこもり」について

2012-10-08 02:27:25 | Weblog
晴れ。地元の祭りの獅子舞が来る。

蓮實重彦「映画時評 2009-2011」を途中まで読む。

著者の筆致がずいぶん穏やかになったように思えるのは
こちらが慣れてしまったからだろうか。

もちろん四半世紀にわたる「お付き合い」なので
そのせいであることは十分に考えられるものの。

TVで「アイアンマン2」を観る。

久方ぶりに見たスカーレット・ヨハンソンの「成長ぶり」に驚く。
わが国で彼女と「近い」ように思えるのは仲里依紗。

途方もなく「異形」に見える時とそうでない時の「落差」が似ている。
「異父母の姉妹」などという設定で物語ができれば面白そう。

実年齢も5つほど違うようなのでちょうどいいかも。
前者は28で後者は23(どちらももうすぐ一つ年を重ねる)。

作品そのものはよくも悪くもロバート・ダウニー・jrのキャラクター頼み。
むしろ今回は父と子の物語があったりしていささか湿気が強いのがやや疑問。

親友ドン・チードルとともに戦うシーンはほぼ「時代劇」。
「レスラー」のミッキー・ロークもそれほどのアクがなく。

「ライバル」の武器商人サム・ロックウェルは
「ゴーストバスターズ」のリック・モラニス風。

「恋人」グウィネス・パルトロウも以前と違って
「コケティッシュ」な雰囲気が消えている模様。

面白いかと言われるとそうでもないが
毎度おなじみの「ひまつぶし」には役に立つ出来。

ついついハリウッドの作品を見てしまうのはなぜなのか。
とりあえず「俳優陣の魅力」だということにしておこう。

日常ではあまりにその種の魅力に出会わない環境にいるせいか
映画という「二次元」で欲求不満の解消をしている次第。

これもある種の「ひきこもり」なのかと言われれば
そうだと答えるよりなさそう。
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「グレーであり続けること」について

2012-10-06 02:48:50 | Weblog
晴れ。日差しは熱い。

佐々木俊尚「『当事者』の時代」を読む。

戦争が終わった時に国民は「ニセの被害者意識」持った。
たとえば「軍部の暴走のせいでこうなったのだ」と。

もちろんそれはウソで
ごく普通のおじさんおばさんたちも戦争を賛美していたということ。

ベトナム反戦によって「被害者でありつつ加害者であること」に気付いたものの
やがてそれは「マイノリティ憑依」という「新たな正義」に取って代わられたということ。

「バブル時代」にもそれは変わらず
敢えて「奇妙な人々」を見つけることで「自らの安心」を築いたりもしたのだと。

今回の3.11東北大震災ではかろうじて地元の「報道する側」が「当事者」になり
そこに束の間「幸福な一致」が見られたというのが著者の「歴史観」。

「自分にとって都合のよい現実」が切り取られやすく
なるほど人は「自分にとって好ましいもの」しか見ないという「事実」はわかる。

また少なからぬ数の人々が頼まれもしないのに「代弁者」となる
「マイノリティ憑依」の恐ろしさも同様に。

ここで著者に聞いてみたいことを少々。

「幸福な一致」が「同じ被災者」となることでしか実現しないなら
そもそも「まともなジャーナリズム」など望むべくもないのではないかということ。

たとえば映画監督園子温は被災者への取材をもとに「希望の国」という作品を作ったが
その内容をどう判断するのだろうかということなど。

個人的にはむしろ「当事者」になれないからこそ「見えること」が重要なような気がするのだが。
もちろん「憑依」は避けた上でのことで。

「当人しかわからないこと」を「神聖視」するのは
別種の「マイノリティ憑依」になりそうな気もするし。

もっとも著者は「宙ぶらりん」の大切さを述べてはいてそこには同意できる。
ただ繰り返すが誰もがそれに耐えられるわけではなく。

声高に「正しさ」を訴えない「非当事者」。

「正解」はどこにもないのだから
「参考意見」を出すあたりで留まることのできる「姿勢」が好ましいと思われるが如何。

とはいえ人はついつい「正義の快感」に溺れるやすいので
それを拒絶する「体力」だけは身につけておきたいところ。
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「立ち位置」について

2012-10-05 02:44:36 | Weblog
晴れ。まだ夏の名残りが。

「権力と支配」を読み進める。

だいぶ頭に入りやすくなってきたもののまだまだ。
ドトールでちょっとだけウトウトする。

ところで。

知り合いの若い女子たちの中では「看護系」を目指している者が少なくない。
要は「経済的安定」のためなら「ハードワーク」も辞さないということ。

ひとりの女子は言う。
「親がこれだけのことをしてくれたのだから自分の子どもにも同じことをしたい」

そのためには「今」と同じ経済レベルが必要で
「経済的余裕のあるパートナー」を見つけるより自分が稼いだ方が早いのだと。

あまりに「まっとう」すぎていささかまぶしいほど。
ちなみに同じ年頃の自分は何も考えていず最近ようやく考え始めたというのに。

状況が厳しいのだと言ってしまえばそれまでだけれど
個人的にはうーむと唸ったりする。

その「揺るぎなさ」はいいとして
いざ「計画」が崩れたらどうなるのかとついつい余計なことなどを考えがち。

ただ彼女たちはきっとそれらを実現していくのだろうし
こちらとしても結局はそうなるよう祈りたいところ。

なぜならおそらく自分はそうしたものと「正反対」の場所にいて
むしろその「事実」にホッとしたりするから。

「君たちがいて僕がいる」

チャーリー浜の決め台詞は案外鋭いということにしておこう。

あるいは「情けは他人のためならず」とも。
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「ユルさ」について

2012-10-04 02:41:02 | Weblog
くもりときどき晴れ。だったはず。

マックス・ウェーバー「権力と支配」を読み直す。

有名な支配の三つのパターン「合法的」「伝統的」「カリスマ的」を再確認する。
「概念」が多くてゴツゴツする文体はやはり慣れるまで時間がかかる。

官僚制についてのあれこれは
まだまだ理解できないところがある感じ。

いわゆる「腑に落ちる」ところまでいっていない。
もちろんこちらの読解力不足と読み取りのいい加減さによるもの。

おそらくまた何度か読み返すことになるだろう。
その種の魅力を持つものが「古典」だから。

そもそも読み返す気になる作品は
ジャンルを問わずそうそうあるものでもなく。

とはいえ生来の「怠惰」ゆえどこまでできるかは不明のまま。
「自由に学ぶ」のは楽しいもののその「歩み」はあくまで鈍い。

深夜に台湾ドラマ「僕のsweet devil」を観る。

いかにも「ユルい雰囲気」が飲みながらの鑑賞にピッタリ。
シュープリームス「恋は焦らず」を「換骨奪胎」した主題歌も同様。

今回はバタバタしていた主人公ふたりがようやく「両想い」になるところ。
ただし彼女の方が交通事故に遭う予告からするとこの先はややこしいことになりそう。

観てはいないけれど「冬のソナタ」あたりのパターンを取り入れたのか。
「涙々の後のハッピーエンド」が待っている「悪寒」が濃厚。

「恋愛ドラマ」を盛り上げるためには「越えがたい障害」が必要だとして
そこで「作為」をいかに「不作為」にするかもしくはそう思わせるかが重要。

問われるのはその時々の「ロマンチックの在り方」にどう沿うかで
「視聴者との共犯関係」が成立すればそれで「成功」。

「誰もが自分を愛しているだけの哀しいゲームさ」と歌ったのは南佳孝だったか。
「want you」と「won't you」の違いは案外大きい。
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「宇宙」について

2012-10-03 02:42:12 | Weblog
晴れ。夜にちょいと降る。

「ベテルギウスの超新星爆発」読了。

昨日よりは興味深く読める。
やはり体調の波による影響はある模様。

ただ出来ればもう少し「サービス」が欲しいところ。
著者の「前提」を共有するにはやや「ハードル」が感じられる。

「センス・オブ・ワンダー」の差とでも言ったらいいのか。
「水飲み場」に連れて行かれたい気持ちは重々あるつもり。

「宇宙」の話をしながらその中で「一番強い力」が「嫉妬」だというのはなかなか。
「暗黒物質」や「暗黒エネルギー」に限らず「ダークなもの」は存在する。

いっそわれわれの関係を「宇宙」にたとえれば面白い。
そこで「重力」に当たるものが何かを考えたりして。

たとえば人の肉は重力に勝てないという「平和」がある一方
目に見えない「観念」がそれを無残に散らす「戦争」もあったり。

とりあえず「宇宙」は膨張し続けているらしい。
頼りない感覚器官に頼ってさまようのみ。

深夜に虫の音。
聞こえるものしか聞こえない。
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「島宇宙」について

2012-10-02 02:53:21 | Weblog
晴れ。台風一過。

土曜は仕事終わりに同僚に誘われ飲むことに。
最終電車で帰宅。

珍しい人物の発案だったが楽しく過ごす。
彼の口から「大衆」という言葉が出ていささか驚く。

若者にありがちな「少数者意識」がなせる業のよう。
いずれにしろやがて「事実」はわかるはず。

昨日は台風でひきこもり。
風雨が激しかったのは一時のみでそれほどのことはなし。

本も読まずなぜかゲームに集中する。
いかにもな「ヒマつぶし」で一日が終わる。

今日はいつも通り。

野本陽代「ベテルギウスの超新星爆発」を途中まで読むものの乗れず。
多少眠かったせいもあると思われるので明日確認する予定。

とりあえずカントに「宇宙」について書いた本がありその「予言」が結構「正しく」
「島宇宙」という言葉を作ったのが彼だというのは初耳。

さて。

TVを流し見つつPCをいじっているうちに寝てしまい
こんな時間に目覚めることに。

おそらくは疲れが「時間差攻撃」してきたせい。
ついつい「爽やかな気分」になりちょいと飲み直すことに。

こういう「生活」をしていては
なかなか「カタギ」にはなれないのも道理だと妙に納得する。
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